5月のコンサート以来、いろいろなことがありましてお待たせいたしました。この1学期の間、子どもたちの生活はすっかり金井っ子らしさを増し、あそびをどん欲に追求する姿が多く見られるようになりました。私は子どもたちの要求に従って竹でおもちゃを作る毎日です。
前園長はこの作業を何十年も続け、卒園した子どもたちが園にくると竹の剣の話やおもちゃの話が多く出ます。子どもたちの心に残っているものがただ単に竹の剣やおもちゃを作ってもらった。という話だけではなく、そこには前園長との心の交流が必ずと言っていいほどちりばめられていました。このことは、私としても理解はしていたつもりでしたが、その奥深さを理解するのに数年を要してしまいました。
この園を受け継いだとき、すぐにでも子どもたちの要求する竹のおもちゃ作りをしようと思いました。しかし、この竹のおもちゃ作りは前園長と子どもたちの関わりの多くを担っていると感じ、あえて自分と今の子どもたちとの関係を自分なりに創ろうと心がけようと心に誓いました。そんな理由であえて竹細工を作らなかった時期がありました。でも、子どもたちのあそびを見つめると、外で元気にあそぶだけではなく、じっくりと物事に向かうあそびや道具を自分自身の分身として扱うことで得られる子どもたちの喜びや充実感、あえて違う視点で言いますと、(人間が太古から長い間をかけて培ってきた自由の獲得)などという大きな考えが頭に浮かんできました。
実際、子どもたちが道具を使いこなすことで、得られる喜びは、今迄、実現できなかったことが自分の手や足で実現できることへの喜びではないかと感じることが多々ありました。自分の意思を持って物を自由に扱うことで、そこに自分自身の感情をも入れ込むような感覚が子どもたちの生活やあそびの核になっていることも気づきました。また、あそびだけではなく感情の育ちや関係性の育ちをも総括するような大きな育ちとも連動しているように感じました。
私が竹細工を作っていると、子どもたちはどんどんと要求してきます。「ここにギザギザをつけてくれ」「ここはもうちょっと細くしてくれ」「これをつけてくれ」色々な注文を出します。子どもたちにとって、目の前で出来ていくおもちゃに注文をつけてよりそれらしくしたいのでしょう。自分で竹の剣にテープを巻いたり笛に色を塗ったりする子はいますが、まだ自分自身で道具を使いこなして作っていく子どもは出てきません。しかし、目の前で自分の願望が実現できる喜びを知った子どもたちは、目の前でナイフやノコギリ、ナタなどを使いこなして魔法のようにおもちゃを作り出しているお手本を見ているうちに必ず自分でやってみたくなるに違いありません。そんな子どもたちとの毎日のやり取りや心の動きを見ていると、子どもたちとじっくりと向かい合い、本来の子どもの心を感じることが出来るものだと改めて認識しました。決して作ったおもちゃを大切にしてほしいのではないのです。(まあ、ゾンザイよりもいいでしょうが)その作られたものを子どもたちがどんな思いを持って作ってほしいと感じるか、そのものからどんなことが生まれるのかを期待しながら、毎日作っています。
2010年8月29日日曜日
2010年5月10日月曜日
コンサートを終えて
連休のなか日にもかかわらず、多くの人に私たちのコンサートにきていただき感謝しています。幼稚園のお父さんと歌う表現を始めてすでに15年の日々が過ぎてしまいました。はじめは子どもたちの歌を中心に歌い始めましたが、だんだんと自分たちのありのままの表現を求め15年が過ぎてしまったというのが実感です。そんな流れのなかで、共感する仲間が次々と現れ、仲間たちとのコンサートを始めて5年がすぎようとしています。
今年は一つの区切りとして、自分たちの共感をもっと広げようと試みました。当日のコンサートで私たちの表現を受け取ってくれた皆さんと、もっと広い視野に立った繋がりを求め、チャリティーという表現を試みました。さすがに繋がることに違和感を感じていない皆さんの心が一つの形となりみごとに結実した思いです。自分たちだけではないんだと思える今回のコンサートを終え、また新たに皆さんとの繋がりを再認識できた良い日になったことを感謝しています。
日常の園生活に戻り、子どもたちとの遊びを夢中になって遊んでいるとき、自分と子どもたちを繋ぐ見えない「やさしさ」や「思いやり」が皆さんの大きな心の意思の力で私と子どもたちの繋がりの根底に流れていることを感じ、うれしく思いました。「人は人の中でしか成長できない」とはよくいわれる言葉です。こんな年になっても、子どもたちや皆さんから成長を見守られている感覚は非常にうれしい感覚だと実感します。
これからも、もっともっと成長していきましょう。仲間とともに。
2010年4月21日水曜日
ママがいいの!
年少のNくん。前日は私と園庭でコマを一緒に回しました。楽しそうに私とあそんだのですが、今日の朝は「ママがいいの!」と半泣きです。当然、私よりママの方が良いのはあたりまえ、まだまだ園の生活の中で頼れる大人の存在は先になりそうです。でも、園長先生とコマをやるんだと、振り絞るような声を出していたことに、これから先の頼りにされる喜びの一端を感じ、嬉しく思いました。
同じく年少のHちゃん。「ママがいいの!!」とこちらは本格的に泣いています。バスに乗り込んで、ママがいないことを察し少し諦めかけたのか今度は「◯◯先生は?」とバスの中に担任の姿を求め声を出し始めました。でも、まわりは子どもたちだけなのを感じたのか、すぐに「ママは!!」「ママは!!」と泣き始め、バスコースが園につくまで泣いていましたが、園に着いて、担任が笑顔で迎えると、泣くのを忘れて担任に抱きついていました。担任は腰を落として迎え、「よくがんばったね」とHちゃんの泣きたい気持をしっかりと受け止めていました。
不安な子どももいれば、全然平気な子どももいます。バスに乗るのが楽しみで楽しみで仕方がないようで、すぐに隣りの年長の子たちと騒ぎ始めている子もいます。
入園して何日か過ぎましたが、まだまだ子どもたちは本格的に園の生活に入り込んでいる様子ではありませんが、子どもたちの表情や行動を注意深く見ていると、不安な気持の中にこの園の生活への期待や安心感があることを肌で感じ始めているのではないかと思います。
私たちは、決して急ぎません。子どもたちの不安な気持や泣きたい気持を我慢させることはしたくはありません。「泣きたいよね」「泣いても良いんだよ」という気持を子どもたちに伝えようと努力しています。この努力の一端でも子どもたちが感じてくれたら、園の生活に「希望」を見いだせるのではと思っています。
ゆっくりでいいんです。この先にはすばらしいことが待っていることに希望を持って。
2010年4月13日火曜日
本が出来ました。
昨年、「すばる舎」という本の出版会社から本の執筆の依頼があり、何回かの校正の後、本が出来上がりました。保育の専門書なので子どもの教育に関する記述がほとんどなのですが、幼稚園の子どものつぶやきから保育者が子どもたちをどのように感じ、育てて行くかの考えが盛り込まれています。題は、子どもに好かれる先生の「ことばがけ」という題ですが、いかに私たち保育者が普段の子どもたちの言葉から子どもたちの育ちを感じ、どのように子どもたちの教育を考えているかの方向性を示した本になっています。専門書なので値段が高いこともあって皆さんの手元には届かないと思いますが、よかったら本屋さんで探して見て下さい。
この本の話は、佐々木正美先生からの紹介があり「すばる舎」からの依頼があって実現しました。当園の他に2園の子どもたちの教育を真剣に考えている園の園長先生と共著になっていて、私たちが子どもたちを育てる基本的な考えが書かれている本だと思います。対象は保育者向けですが、今の金井幼稚園の教育方針の考え方も含めて、執筆したつもりですので興味のある方は是非手に取って読んでみても良いのではと思います。(値段が高いのが気になりますが)
また、「えんがわ」や「園長を囲んで」で詳しいお話をさせて頂きたいと思います。そのときには、実際の本を手に皆さんに説明したいと思いますので、そちらへの参加よろしくお願い致します。
2010年4月6日火曜日
入学式に行ってきました。
金井の子どもは小学校に行くと椅子に座れないとよく耳にします。私はそんなことはないと思っていますが、この入学式の古式騒然としたものを理解せよというのがまず間違いでしょう。また、授業では子どもたちの本当に知りたいことを吟味して提案しているかが問われることでしょう。本来、子どもたちは「知りたがりで、やりたがり」なものだと思っています。事実、園での子どもたちはなんでもやりたがり、失敗を重ねて答えを体感できる子どもたちに育っている筈です。そして、思いっきり体を動かしたり、感動したり、共感する経験を通して、何が正しくて、何が間違っているかも理解していると思っています。
入学式の1組の先頭と中程に見慣れた顔がありました。2組の中程にも見慣れた女の子がいます。3組にも、4組にもいます。卒園させた子どもたちの行動が気になります。(椅子に座れないのか、いやそんなことはない、突然、質問なんかしないだろうか。)目の前を通過する子どもたちは堂々と入場し、しっかりとこの場の雰囲気を理解していると感じます。椅子に座って校長先生の解らない話しもじっと聞いています。他の園の子どもたちは足をぶらぶらさせたり、上体を揺らしたりしています。
帰り道のサクラも雨にぬれていました。寒い入学式になってしまいました。でも、子どもたちは大丈夫。しっかりと前を向き、自分の進む道を見いだしています。これから、小学校という違った環境に慣れ、多くの友だちと共感できる生活を送れることを願っています。
園に返ると、園庭中にサクラの花びらが絨毯のように敷き詰められていました。もうサクラは散ってしまいそうです。入園式には既に散ってしまい、新入園の子どもたちはサクラ吹雪の中、新たなスタートは切れないのですが、新入学の子どもたちの新たな道へ進む大きな力を感じ、園の新入園の子どもたちの生活をしっかりと創って行こうと改めて感じました。
2010年4月2日金曜日
さくら、桜、サクラ
春休みはクラス会や園庭の花見の会が何回か行なわれましたが、ちょうど寒さが戻って来た時期に当たり、とても園庭での花見が出来ず、部屋の中で寒さに震えていたようで残念に思いました。今週末は確実に暖かさと天候の良さが戻ってきますので、よかったら出かけてきませんか?みごとなサクラの下で花見が出来ること請け合いですよ。
もうすでに春休みは終盤になってしまい、毎日の作業ももう少しになりました。新年少の部屋は内部の増築は終わり、ベランダの工事に移りました。 なんとか間に合いそうで安心しています。下駄箱は私がしっかりと作りましたので機会があれば見て下さい。ヤギたちも食欲旺盛で、元気です。ガーコは小さい子どもを追いかけ回すようになってしまい、何人かの子どもが泣いてしまい、その度に、私が「強気になってガーコを逆に追いかけなさい」と言っています。アヒルやガチョウの性格として、人を追いかける性格が元々あるのですが、逃げる人を見ると必ず追いかけます。皆さん、ガーコに対面した時は、強気で追いかけるようにして下さい。そうしないと追いかけてきますよ。
2010年3月28日日曜日
新年度の準備
幼稚園は春休みに入りました。春の別れの名残か、卒園児の同窓会が盛んに行なわれています。小学校の卒業で次ぎには中学校になる卒園生や、中学校から高校生になる子どもたが入れ替わり立ち替わり園を訪問し、同窓会を開いています。久しぶりに会う子どもたちは、身体が大きくなっているだけでほとんど変わらないように思えます。実際は大きく成長しているのでしょうが、園に来ると、昔の楽しかったあそびや仲間との再会に興奮気味に園庭をかけ回ったりしています。
そんな声を聞きながら、私は新年度の準備に追われています。この春休みの時間を使って、新年度の年少組のクラスの増築や下駄箱の製作に追われています。本来は専門業者に任せていれば良いものの、自分の思いや費用的なことを考えると自分の技術と相談しながらこつこつと作業にいそしんでいます。休みに入ると、園の足りないものやこれがあるときっとおもしろいんじゃないかという思いが膨らんで、あれもこれもと欲が出て来てほんとうに時間がたりません。在園の子どもたちが新学期になったら見つけてくれるでしょう。そのためにも毎日こつこつと頑張りましょう。
このところの寒さで桜の花も足踏み状態です。この桜が散る頃には新入の子どもたちと在園の子どもたちが園庭中をおもいっきり使って遊び回ることでしょう。それまでは毎日作業に勤しみましょう。
2010年3月19日金曜日
希望に胸を高鳴らせて。
一夜明け、今日は年中と年少だけがバスに乗りました。年長の子どもたちがいないのは、こんなに静かなんだと年長のエネルギーのほとばしりを実感しました。年中や年少も4月からの園の生活の中で年長や年中になる実感が出たときにもっとエネルギッシュになるだろうと予想します。
バス停の其処此処で卒園した年長がバスを見送りに来てくれました。ある子はバスを追いかけ、ある子は手を夢中になって振っていました。園からの旅立ちを惜しむようにいつまでも手を振っている子どもたちに、嬉しいと思う心と、希望に胸高鳴らせて次の道に進んで欲しいとの思いを念じました。
この一年の年長の子どもたちの成長は著しいものと信じています。必ずや次のステップで希望という信じられるものを獲得することを確信しています。
頑張れ、新一年生!!!
2010年3月15日月曜日
お弁当、お弁当、うれしいな!
写真にあるお弁当を見て、懐かしく思う人もいるでしょう。2〜3年間毎朝お弁当を作っていたお母さんにとっては、子どもたちが「全部食べたよ」や「このおかずが美味しかった」など、日々の子どもたちの食べる様を想像しながら、一生懸命に作った日々でしょう。卒園したお母さんに聞くと、子どもたちのお弁当作りは、大変なこともあるけれど、自分の愛情を子どもたちのいちばん興味のある、食べること、に借りて表現できること、そして、子どもたちの笑顔がいちばんの励みということでした。
今、食育と言われていることが広く伝わっています。この食育の本質は何でしょう?お母さんが子どもが食べる物に愛情を注ぐことがいちばんではないでしょうか。お弁当作りは毎日のことです。そんなに一生懸命に凝ったお弁当を作ると疲れてしまいます。(すごく楽しく毎日凝ったお弁当が作れる人や、自分の趣味のようになっている人は別ですが)子どもたちが、「今日もお母さんの作ったお弁当はおいしかったよ」と言ってくれるお弁当で良いのではと思います。今は便利な冷凍食品も多くあります。それらをお母さんの愛情で変身させて下さい。
私が担任をしていたクラスのある女の子が、お弁当箱に真っ白なご飯だけを持って来たことがありました。びっくりしてその子に聞いてみるとこんな答えが返ってきました。「これはね、田舎のおばあちゃんが毎日田んぼに出て、一年かかって作ってくれたお米なの」「昨日、送って来てくれたからお母さんに頼んだの」「お弁当、おばあちゃんのお米だけにして」って、「それは美味しいだろうね、残さず食べるんだよ」
こんなことは多くはありませんが、女の子の気持とおばあちゃんの気持、お母さんの気持と担任の気持が手に取るようにわかります。こんな愛情が子どもたちの食べるということの思いにつながってくれたらと思います。
お母さん方、毎日のお弁当作りありがとうございました。子どもたちも毎日楽しく食べることが出来ました。
2010年3月5日金曜日
海賊船を作ってます
色々考えた末、今年は海賊船にしようと思いました。1月、2月と子どもたちの様子や時間を見計らってとうとう海賊船作りが始まりました。年長や年中、年少の子どもまでもが入れ替わり立ち代わりカナヅチを持ってトントンと始めました。みんな釘を打つのに夢中です。さすがに年長は上手に釘を打ちます。年中の子どもも上手に打つ子とまだぎこちない子がいます。でもみんなやりたくてしかたがありません。私がカナヅチやのこぎりを出すと我先に集まってきます。
2010年2月26日金曜日
お別れ遠足
長谷寺で昼食をとり、鳶に食べられないように気にかけながら食事を終え、由比ケ浜での水遊びに突入しました。帰りのバスの中でも眠る子どももそんなにいず、ワイワイと園に戻ってきました。楽しい一日を良い日に行なえたことに満足しています。
2010年1月29日金曜日
Hちゃん
3歳児の活発な女の子、Hちゃん。女の子3人でお姫様のような出で立ち。首にはネックレス、長いスカートを翻し歩いています。私の所にやって来て、「バオバブの部屋に入っていい?」と小さな声で聞きました。中を見ると、今日はバオバブの日。2歳の子どもたちとお母さんがいます。私と3人のレディたちは入口のガラスに顔をつけて中をのぞき込みます。どうやら無理のようなので、3人に言いました。「バオバブやっているから無理のようだよ」「でもお姫様、みんなでオレンジを食べましょうか?」「食べるーっ」3人とも大きな返事の後、畑の際にある夏みかんを穫って、4人仲良く腰をかけて食べました。
次の日の園庭でHちゃん、前日とはまったく違った出で立ちでターザンロープや木登りにいそしんでいました。タイヤブランコの木に登っているHちゃん、年中の女の子に声をかけられてメソメソしています。木の下から私が声をかけました。「降りれるの?大丈夫?」日頃のHちゃんなら、登ったり降りたり自由自在の筈ですが木の上で顔を伏せています。「降ろしてあげようか?」もう一度聞くと、いやいやの様子。ピンときた私、担任の先生の名前を「◯◯先生に降ろしてもらおうか?」顔を伏せたまま、小さくうなずきました。
S先生を呼んで木のところに戻ると、Hちゃんはすでに木の下に降りていてニコニコしながら待っています。担任が声をかけると、今までのことが嘘のようにニコニコと対応しています。
子どもたちにとって自分のクラスの先生は本当に頼りがいがあるのでしょう。一年間の皆との生活で信頼や解りあえることが出来ているのでしょう。特に3歳児にとって先生の存在は最も大きなものなのだと実感した日でした。信頼という、人間の持つすばらしい感覚を子どもたちも日々の生活の中で確実に身につけていることを確認できたことに喜びを感じました。
次の日の園庭でHちゃん、前日とはまったく違った出で立ちでターザンロープや木登りにいそしんでいました。タイヤブランコの木に登っているHちゃん、年中の女の子に声をかけられてメソメソしています。木の下から私が声をかけました。「降りれるの?大丈夫?」日頃のHちゃんなら、登ったり降りたり自由自在の筈ですが木の上で顔を伏せています。「降ろしてあげようか?」もう一度聞くと、いやいやの様子。ピンときた私、担任の先生の名前を「◯◯先生に降ろしてもらおうか?」顔を伏せたまま、小さくうなずきました。
S先生を呼んで木のところに戻ると、Hちゃんはすでに木の下に降りていてニコニコしながら待っています。担任が声をかけると、今までのことが嘘のようにニコニコと対応しています。
子どもたちにとって自分のクラスの先生は本当に頼りがいがあるのでしょう。一年間の皆との生活で信頼や解りあえることが出来ているのでしょう。特に3歳児にとって先生の存在は最も大きなものなのだと実感した日でした。信頼という、人間の持つすばらしい感覚を子どもたちも日々の生活の中で確実に身につけていることを確認できたことに喜びを感じました。
2010年1月6日水曜日
新しい年に向けて
新年の挨拶が大分遅くなりましたが、改めて今年のご挨拶をします。「あけまして、おめでとうございます」年賀状を頂いた皆さんにお礼を申し上げます。現役の子どもたちや卒園の子どもたち、父母のみなさんから近況や今年の抱負など、読んでいて心温まる思いでいっぱいです。
子どもたちのいない幼稚園は静かです。特に正月からは私とヤギ、チャボとウサギとガーコだけが幼稚園の住人のようで、ヤギに話しかけたり、ガーコの水の取り替えの冷たさにぶつぶつと文句を言ったりの毎日でした。でも、この子たちは久しぶりの静けさに元気を取り戻したように活発に動いています。もうすぐ、子どもたちが園に帰ってきます。それまでの短い間を謳歌してくれればと思います。
今年一年はどんな年になるのでしょうね。より良い子どもたちの成長をと取り組んで来た園生活ですが、すぐに答えが見つかる訳でもありません。常に今、目の前にいる子どもたちから学びとる他ありません。一日一日を子どもたちとの生活を充実させることで多少の子ども理解が少しでも向上できるのではと期待しています。どんどん年をとってくるということは、子ども時代から遠くなることですが、常に子どもの心を忘れずに生きていきましょう。皆さんも、遊び心と好奇心を忘れずに、大人を生きて下さい。
水の冷たさが身にしみる毎日ですが、動物たちは元気です。子どもたちを心待ちにしている風に感じるのは私のエゴでしょうかね。実は私が心待ちにしているのではと思います。
2009年12月30日水曜日
反省文2009
一刻も早く立ち去りたい。こんなことは現実ではないんだ。そんな思いを抱きながら、あなたの告別式から足早に立ち去りました。車を運転している最中もいま見て来たこと、いま感じて来たことがまるで映画の一つのシーンのように頭の中をまわっています。どうしてだろう、どうなっちゃったんだろう、何で、頭の中には混乱と悲しみが交互にやってきます。悲しみは現実を認めようとしている心。混乱は現実を認めまいとする心。でも、悲しみが徐々に私の心を支配していきます。その後に訪れるむなしさ。何故なんだろう、貴方が私たちの中からいなくなるなんて。読書会「むじな」の仲間として、いや、同じ時代を生きる同士として共に歩んで来たと思っていた貴方が突然私たちのなかから消えてしまいました。
さゆり会室にみんなを待っています。いつもの読書会ではなく、貴方にありがとうを言えなかった仲間が貴方が仲間と歩んで来た道を、話したことを、感じたことをみんなで話す会を企画しようと集まっています。貴方が私たちの中からいなくなってしまったのはわかっている筈なのに、貴方はどうしたんだろう、遅いな、もう現れるかなと思ってしまってドキッとしています。さゆり会室のドアが開いて貴方が満面の笑みで現れるような錯覚さえ覚えてしまいます。最後に貴方と話したことを覚えています。その時も満面の笑みでしたね。よほど嬉しかったのでしょう、子どもの将来のことを心配していると言いながらも確実に歩み始めたことを嬉しそうに話していました。いつも心を砕いていたことだからなおさら嬉しかったのでしょう。陽光に照らされながら門のところで手を振って帰っていく貴方の姿を今も鮮明に覚えています。
貴方が去っていった日から数日、もう一人の人が去っていきました。私にとっては貴方と同じように私の人生の中で大切に思っている人です。その人は大変強い女性でした。子ども達の教育のことを成し遂げるため、自らの一生を子ども達の教育に捧げ、切り開いていった強い意志を持った女性でした。男勝りに活動をし、自らの道を突き進んでいった人です。この人のように貴方は強い意志を持っていたことを私は知っています。でも、貴方がこの人とは違うところは、「やさしさの強さ」ですね。強い意志を前面に出してみんなをぐいぐいと引っ張るような意思ではなく、やさしさに包みながらいつしかみんなを引っ張っていってくれたんですね。今、貴方が私たちの中からいなくなってしまい、貴方との会話や笑い合ったこと、人と人との繋がりなどを夢中に話したことが、今の私たちが貴方の「やさしさの強さ」に見守られていることをひしひしと感じます。この感覚は薄れていくどころか、日増しに私たちの中に強く入り込んでいることに気付かされます。貴方が去った悲しみは今も続いています。でも、悲しみの中に貴方の「やさしさの強さ」を感じられることの喜びを見いだせ、貴方が確実に私や私の仲間たちの心の中に存在しているという実感をひしひしと感じます。
いつまでも貴方の「やさしさの強さ」が私たちの心の中に留まっていてくれることを願って、居住まいを正して言わせて頂きます。「ありがとう」
一年前の12月29日、この世を去ってしまった同士へ送った追悼文です。あれから一年、私は同士へ恥じない生き方をして来たのだろうかと迷います。先日、娘さんとお話しする機会を得ました。あなたが仲間の中で何をして来たのか、何を思っていたのかを知りたくて私たちの話を聞き、その雰囲気を知りたいとのことでした。とてもあなたによく似ていました。考えや行動、あなたのやさしさ等が体全体から漂うように感じられました。あなたの未来は昨年の29日で「時」を止めました。しかし、その「時」が娘さんの心の中に息づいていることを感じられ嬉しく思いました。受け継がれた何かを感じ、これからもあなたの思いを感じられる喜びを確認しました。
正直に生きよう。常に私や仲間たちが口癖のように発している言葉です。自分に正直であり、他の人たちに正直でありたい、なかなか難しい思いです。この一年、常に子どもたちへ向けたメッセージでもあります。そして、私と何らかの関わりがある人たちに向けたい「思い」でもあります。この一年、私は自分自身に恥じない生き方が出来たのだろうか?
年の瀬に思うことが多くあります。でも新しい年はもうすぐそこまで来ています。また新たな気持で新しい年に進みましょう。今年一年の反省を生かしながら、前を向きながら確実に一歩ずつ。
今年、お世話になった人たちに自戒を込めて反省文を書きました。
2009年12月25日金曜日
表現する心
年長の劇表現を見せてもらいました。それぞれのクラスで子どもたちは表現することが楽しくて仕方がないようにそれぞれの役に没頭していました。多分、各々のクラスのお母さんたちも子どもたちの劇表現を保育参観というかたちで見た時、子どもたちの一生懸命さに感動さえ覚えたことと思います。
年長の子どもたちにとって自分自身を表現することの喜びは、自分が他の子どもたちに認められ、自分も他の子どもたちを認めていなければ実現できないことと思います。年長のあるクラスの劇表現を子どもたちに誘われて劇をみせてもらった時、そのことが目の前でいとも簡単に行われていることに気付き、ハッとさせられました。
言葉のやり取りの発達は年長のこの時期になると顕著になってきます。自分の思いや考えを言葉にのせて他の子どもたちとやり取りすることで、自分自身の考えがしっかりと理解でき、他の子どもたちの考えをもしっかりと受け取れる心の発達が促されるようになります。自分は他の子どもたちの中で育つという実感を、表現することでより実感できるのではないでしょうか。
私たち保育者は子どもたちを発達させることに重きをおいて保育を組み立てていきます。当然、言葉の発達や子どもたち同士の関係性等も視野に入れながら日々悪戦苦闘しているのですが、その基本には子どもたち一人ひとりの心の育ちがあることは間違いないことです。そのために、あそびや日々の生活、表現することや行事に向かって行く活動の中に個人の心の育ちを見ていく大切さは理解しているつもりです。
3人の子どもたちが蛸になって出てきました。劇の一部分ですが、子どもたちは手や足をぐにゃぐにゃさせながら本当の蛸のように振る舞っています。周りの子どもたちはその子たちを温かく見守るように笑いました。3人の子どもたちはもっと張り切って蛸らしい演技に没頭し始めました。口を尖らせて手足をよりいっそうぐにゃぐにゃし、言葉を発していました。自分たちの出番が終わると、まだ蛸になりきったままで退場していきました。劇が終わった後、見ていた年中の子どもたちから出た意見は「タコが上手だった」「タコが楽しそうだった」の意見が続出しました。
私は年長の育ちは「言葉」という概念を何処かに持っていたようです。3人の子どもたちが見せてくれたのは、当然、表現のやり取りの中心的な役割は「言葉」であることは間違いないのですが、その表現の基本、子どもたちの生活の中心にあるものはおたがいの心のキャッチボールこそが自分たちを育てる基本なんだと教えてくれていることに気付きました。どんなことをしてもクラスのみんなは受け止めてくれる。こんな安心で自分自身が肯定されていることは、年長の育ちとしては最高のことと思います。それを教えてくれた3人に感謝の気持とともに、しっかりとした年長に育ってくれたことを誇りに思いました。
2009年11月12日木曜日
精米所
年長の田んぼの活動の一環の精米に行ってきました。脱穀に続き、もうすぐ食べられるんだという思いを持って精米所に出かけていきました。始めの精米機は小さい物でしたが、最終の精米の機械は大きな物で家一軒分位の大きさに子どもたちも驚きを隠せないようでした。親切な所長さんから丁寧に説明を受け、子どもたちは玄米の色から真っ白になった餅米を見て驚いたり、触って「温かい」と声を上げたりおもしろい経験をしてきました。すでに機械に入っていたうるち米(自分たちの餅米の前に精米していた)が次々とビニール袋に入れられて出てくるのを見て、「お母さんと自分たちが作ったお米はこんなにあったんだ」と勘違いした声や機械の動いている様を見て、「機械がフラダンスしてる」などと声を上げていました。子どもたちなりにいろんな考えを巡らせているんだと笑ってしまいました。自分たちで作った米です。どんなにか美味しいでしょう。収穫祭が楽しみです。
2009年11月4日水曜日
あした天気になぁ〜れ!
幼稚園からの帰り道、農道を車で走っていると空が開けた所からこんなきれいな空が見えてきました。もうそろそろ冬の気配が夕暮れの空気に混じってやって来たようです。
子どもの頃、友だちとあそんで家への帰り道、こんなきれいな空を見たことを思い出しました。晩秋の夕暮れは子どもながらに、寂しい感じとあそびを十分にした充実感が入り交じったような感覚がありました。家々の窓から漏れる光が、「早く家へ帰りなさい、お前の家もきっと温かいよ」と言っているようで、思いっきり駈けて帰ったことも覚えています。
子どもたちと毎日、あそんだり話をしていると自然と自分の心が子どもの頃に帰ってしまうのか、自然への興味や物ごとへの興味がどんどん膨らむのがわかります。より、幼い頃の自分の心に近づくのでしょうか、子どもの頃の自然の風景や友だちと夢中になってあそんだことががふっと思い浮かびます。多分、この思いが私の原風景なのでしょう。
園の子どもたちも園での友だちとの関わりや生活を、数十年後、晩秋の夕暮れの空をふっと見上げたとき、寂しい気持や充実した気持とともに原風景として心の中にきっと描いてくれるのだろうと思っています。
人は成長するにつれて空を見なくなるようです。現実を見れば見るほど、足もとを見ないと心配になるようです。当然、何かにつまずいたり転んでしまうことを恐れることは人の知恵として備えなければならないことでしょう。でも、たまには空を見上げて夢を思い出しても良いのではと思います。こんな素敵な空が見えるんですから。
2009年10月31日土曜日
ゲストスピーカー
毎年、明星大学の諏訪きぬ先生に要請されてゲストスピーカーとして学生たちに園の子どもたちの生活と保育を話す機会を設けてもらっています。保育や教育学の専門の学生たちに話すのですから、毎年、どんな話をしようかと迷いますが、今の園の環境や園の保育理念などを交えて90分しっかりと園の子どもたちの育ちや日頃の子どもたちの様子なども話してきました。次の保育の時代を担う学生たちですから、よりよい子どもの育ちを理解してもらいたく、こちらも熱が入り、ついつい時間を忘れて話す私の悪い癖が出てしまい、すまない思いを感じましたが、学生たちから次々に質問が出され、自分自身が考えている保育理念や子どもの育ちが次世代へ継承されると思うと大変うれしく感じました。今、目の前にいる子どもたちもいずれはこんな大学生になるんだと思うと、子どもたちの将来が明るいものに感じました。また、この大学の学生たちが教育の現場に出た時、多少なりとも私の話が役に立ってくれることを願いつつ、大学を後にしました。頑張れ、大学生!!!
2009年10月26日月曜日
秋まつり
前日からの雨にもかかわらずお父さんやお母さんの力で当日は雨もやみ、ちょっと寒い日でしたが皆さん楽しんで頂けたのではと思っています。本来、ブログでは写真を織り込みながら書きたいのですが、写真を撮る暇もなく、当日はいろんな場所でお会いした人にゆっくりとお話が出来ず失礼しました。慌ただしく園中を駆け回っていたようで声をかけて頂いてもじっくりと話せませんでした。「さゆり会」の大きなイベントでしたが、人々の笑顔や喜々として作業しているお父さんやお母さんの顔を見ていると、人々が生き生きと生きているという実感を感じたのは私だけでしょうか。子どもたちもこんな真剣な大人たちの姿に何か人間的なものを感じてもらえたらと願っています。人と人とが繋がって、一つの目当てに真剣に立ち向かう姿に少なからず感動さえ覚えています。「秋まつり実行委員」のみなさん。今日の後片付けまで雨にたたられてしまいましたが、楽しい「秋まつり」ありがとうございました。お父さんの会で力を貸して頂いたお父さん方、ほんとうにおつかれさまでした。そして、ありがとうございました。今日の雨にもかかわらず、最後まで後片付けをして頂いた、お父さん方ありがとうございました。
園長
2009年10月18日日曜日
お父さんの会 いも掘り&ポップコーン
秋まつりで「お父さんの会」が焼きいもを販売します。そのため、6月に舞岡の畑にサツマイモの苗を植えました。その収穫を行いました。お父さんだけではなくお母さんも多数集まって頂き、みんなでいも掘りをしてきました。今年は今までになく大収穫で、大きなサツマイモが土から表れる度、そこここで歓声が上がっていました。
軽トラック一杯のサツマイモを園に運び、午後からはみんなでイモ洗い、ポップコーンの種むきをしました。子どもたちも大人の間に入って一生懸命にイモ洗いやポップコーンの種取りに精を出しました。掘れたてのサツマイモや取りたてのポップコーンの種を、イモは蒸かしイモにしてポップコーンは油で弾けさせてみんなで食べてみました。よほど美味しかったのでしょう、子どもたちは口一杯にポップコーンやサツマイモを頬張っていました。労働の後のささやかな楽しみでしたが、子どもたちも大人もさわやかな秋の一日を収穫の喜びを実感した一日になりました。
PS お父さんのホームページにも、当日の写真がアップされると思いますので、参加された皆さんも楽しみにして下さい。
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