2011年5月6日金曜日

東北の旅の終わり

 2泊3日の東北への旅が今日8時、終わりを告げました。この短い間でしたが、今回の会いたい人にすべて会ってきました。福島の阿部農園の阿部さん、今年の梨の受粉が終わり次ぎへの農作業の段階に入っています。まだまだ原発の心配はありますが、その現地にしっかりと根付き暮らしています。福島駅前の本屋のレジの横には原発や放射能などの本の特設コーナーが設けられていました。福島の人たちは必死に今時分達の周りでおこっている事態が何なのか知ろうと努力している事が解ります。私たちも自分でしっかりと知識をつけ、生きる上で必要なことを学ばなければならない必要を感じます。

角田の「なかよし保育園」の藤崎さん。彼の豪快な笑いや子供感は彼の人間を見る目の優しさから来るものでしょう。ひと山向こうの悲惨な状況に胸を痛め、私たちを目の前でおこっている現実を直視するよう促してくれました。あの光景や人びとの心の痛みは、ほんの数時間で理解するなどとはおこがましいですが、あの静けさや広がり、光景を直接見る事が出来たのは自分自身の心に何らかの化学変化が起こっている事を実感するものでした。角田女子高校の体育館には未だに引き取り手の無い遺体が安置されているそうです。また、山元町の公立保育園の園児が3人津波に流されて亡くなったそうです。そのお母さんの知り合いの人の話も聞くことが出来ました。この悲しみを乗り越えるのはまだまだ先なのかもしれませんが、しっかりと胸に刻んできたつもりです。

古川の藤川さん。卒園した子どもは、もう私の背を越え、たくましく日焼けした顔を見せてくれました。しかし、そこには幼い時の面影がまだしっかりと残っていました。お姉ちゃんとは会えなかったのですが、あの泣き虫だった女の子は、自分自身の将来を見つめ、しっかりと生活している事を同じく泣き虫のお母さんから聞いて安心しました。2人ともこれからも泣き虫のお母さんを支えていってくれるでしょう。東北の地は寒い風が吹いていました。この地で親子が暮らしています。私たちの環境から遠く離れていても温かい心はしっかりと根付いている事を確認し、嬉しい気持ちになりました。

最終の日、松島の本村さんの実家に寄ってきました。私の音楽仲間で、ベースを担当している彼の実家は松島海岸の目の前で唯一、手作りこけしの店を開いています。彼らご夫婦も連休を利用して実家の手伝いに戻っていました。店は津波に襲われ、一階の店舗は全壊してしまいました。しかし、松島湾が津波の力を吸収してくれ何十メートルの高さではなく、約2メートルの津波のおかげで店の一階だけで被害は収まったようです。被災後から何回か実家に通い、今回は店舗部分を元通りとはいかないまでもこけしが並べられて営業が行われていました。そのこけしの中から被災したこけしを3体譲り受けてきました。このこけしたちも地震、津波の中、傷ついたり泥だらけになりながらもしっかりと立っている姿は愛らしく、私たちの心を落ち着かせてくれる佇まいです。幼稚園に飾って園児達を見守っていただきましょう。

往復、連休中ということもあって20時間の車の旅になってしまいましたが、色々な思いや物語に触れ、自分自身のこれからの糧になるような経験を積ませてもらったように感じます。絵本を寄贈してくださった園のお母さん方、震災した子どもたちに希望という物語を紡ぎましたよ。子どもたち一人一人の心に物語を、そして、生きるという物語を残せたのではないでしょうか。まだまだ復興は時間がかかります。これからも引き続き心を届ける努力をしていくつもりです。そのときが来たら、また相談に乗ってください。今回の旅の結末はこの辺で終わりにします。でもまだ物語は続いています。

木都老克彦