年長の劇表現を見せてもらいました。それぞれのクラスで子どもたちは表現することが楽しくて仕方がないようにそれぞれの役に没頭していました。多分、各々のクラスのお母さんたちも子どもたちの劇表現を保育参観というかたちで見た時、子どもたちの一生懸命さに感動さえ覚えたことと思います。
年長の子どもたちにとって自分自身を表現することの喜びは、自分が他の子どもたちに認められ、自分も他の子どもたちを認めていなければ実現できないことと思います。年長のあるクラスの劇表現を子どもたちに誘われて劇をみせてもらった時、そのことが目の前でいとも簡単に行われていることに気付き、ハッとさせられました。
言葉のやり取りの発達は年長のこの時期になると顕著になってきます。自分の思いや考えを言葉にのせて他の子どもたちとやり取りすることで、自分自身の考えがしっかりと理解でき、他の子どもたちの考えをもしっかりと受け取れる心の発達が促されるようになります。自分は他の子どもたちの中で育つという実感を、表現することでより実感できるのではないでしょうか。
私たち保育者は子どもたちを発達させることに重きをおいて保育を組み立てていきます。当然、言葉の発達や子どもたち同士の関係性等も視野に入れながら日々悪戦苦闘しているのですが、その基本には子どもたち一人ひとりの心の育ちがあることは間違いないことです。そのために、あそびや日々の生活、表現することや行事に向かって行く活動の中に個人の心の育ちを見ていく大切さは理解しているつもりです。
3人の子どもたちが蛸になって出てきました。劇の一部分ですが、子どもたちは手や足をぐにゃぐにゃさせながら本当の蛸のように振る舞っています。周りの子どもたちはその子たちを温かく見守るように笑いました。3人の子どもたちはもっと張り切って蛸らしい演技に没頭し始めました。口を尖らせて手足をよりいっそうぐにゃぐにゃし、言葉を発していました。自分たちの出番が終わると、まだ蛸になりきったままで退場していきました。劇が終わった後、見ていた年中の子どもたちから出た意見は「タコが上手だった」「タコが楽しそうだった」の意見が続出しました。
私は年長の育ちは「言葉」という概念を何処かに持っていたようです。3人の子どもたちが見せてくれたのは、当然、表現のやり取りの中心的な役割は「言葉」であることは間違いないのですが、その表現の基本、子どもたちの生活の中心にあるものはおたがいの心のキャッチボールこそが自分たちを育てる基本なんだと教えてくれていることに気付きました。どんなことをしてもクラスのみんなは受け止めてくれる。こんな安心で自分自身が肯定されていることは、年長の育ちとしては最高のことと思います。それを教えてくれた3人に感謝の気持とともに、しっかりとした年長に育ってくれたことを誇りに思いました。