2011年5月4日水曜日

東北の旅2日目

今日は角田市のなかよし保育園へ絵本を届けに福島から入りました。阿武隈川を右に見ながら春の陽光の中、あんな大きな出来事があったことを忘れるようなのんびりした風景です。川の向こうには阿武隈鉄道があり、電車がいつ来るのかと車を走らせていましたが見る事は出来ませんでした。後で藤崎さんに聞いたところ電車は線路が曲がってしまい今復旧の最中であると聞きました。なかよし保育園に着き、なかよし保育園の前に阿武隈鉄道が通っていてその線路上を復旧の車両が行き来しているのが見え、やはり地震の影響があったことを実感しました。

なかよし保育園は田園の中ですごくのんびりした風景の中に立っています。でも、保育園から南の方に見える山の向こうは山元町で津波の被害が甚大なところと聞き、この風景から考えると全く信じられないの一言でした。午後、藤崎さんが山元町の津波の被害を見に行かなければと私たちを被害地まで連れていってくれました。その光景は私がテレビで見る光景とは別物でした。自分のまわりの災害の広がりや深さ、何とも言えない罪悪感、ここに居ていいのだろうかという戸惑いなど、色々な思いが交錯します。そんな意見を藤崎さんにぶつけると帰ってきた答えが「生きているもんが、この風景を見てしっかりと感じなければ死んだもんが浮かばれない」「この風景を実感して、今後の考えをしっかりと持つんだ」と、今回の旅で、私なりにある程度は覚悟を決めてきたつもりでしたが、実際この風景の前に立つと、自然の力の大きさや残忍さがこれでもかと私の心の中にドンドンと音を立てるように踏み込んできます。家々は刃物でそぎ落とされたように切り捨てられ、いや、もぎ取られると言った方がいいのかもしれません。あらゆるものが大きな手で握りつぶされ一カ所に集められているようです。ここに無数の家があった痕跡すら跡形も無くなっているのです。始めは田んぼが続いているのかと思った場所に無数の家が点在していたと聞かされ、その痕跡すら流し去った「津波」という恐ろしいものに改めて人間がいかに無力であるかを思い知らされました。

1時間あまりの訪問でしたが、私の疲労は何日も眠っていないかのように頭の後ろから何かがぐいぐいと押しているような感覚が襲ってきます。車で一分も走らないうちに同じ山元町でも全く被害に遭っていない地域に入ります。そこはごく日常の風景です。レストランは営業し、車窓に映る家々はごくあたりまえの日常を過ごしています。このギャップにも私は戸惑いを感じました。後で聞くと、そのギャップに現地の人びとは悩まされているとも聞きました。ある一線を越えて完膚なきまでも打ちのめされた人びとと、まったく日常に変わりのない人が同じ地域で暮らしている難しさ、なかなかそのギャップを人びとは乗り越えられないでいるという事も。

私がいつも考えている、人と人との関係が違った形でこの場所で展開されている事を実感しました。条件の違いをどのように乗り越えて行くのか、それには何が必要なのか、この難しい局面を人間はどのような知恵を持って乗り越えて行くのかは、人それぞれが素直に相手に向かい合う意外では解決できないのではと思います。いっしょに悲しみ、でもそこから希望を見いだす事でお互いに繋がってゆこうとする意思をお互いに率直に出し合いながら前に進む意外に手は無いのではとも思います。でも、この現状からお互いに繋がって行こうとする意思は多少時間がかかる事も否めないのかもと思います。私もまだ胸の痛みに違和感を覚えて、考えがまとまりません。もう少し考えましょう。そして、良い答えがある事を念じましょう。

明日は松島に行ってきます。また、自分の考えをじっくりと現実と照らし合わせてみようと思います。この次にこのブログを書くのは自宅のパソコンの前になると思います。そのときまでに考えや思いがまとまればいいとは思いますが、まだまだ現実の方が遥か先の方へ行ってしまっています。もう少し時間をもらいたいと思います。

木都老克彦