2012年4月19日木曜日
2012年3月23日金曜日
2011年7月16日土曜日
2011年長キャンプ
7月15日、年長の子どもたちが待ちに待ったキャンプです。例年ですと梅雨が明けるか開けないかの微妙な天候ですが、今年はそんな心配はまったくありませんでした。でも、あまりの暑さに熱中症の心配が、しかし、子どもたちはみんな元気でキャンプの活動をしっかりとやってくれました。自分たちの生活は自分たちで賄うことを目標に、カマド係、お風呂係、カレー係、デザート係に別れてそれぞれが年長みんなのために悪戦苦闘する1日です。心配をよそに、子どもたちはしっかりとそれぞれの役割をこなしていました。1学期の総まとめのこの時期、子どもたちが自分たちの生活を目標を持って送ることが出来るのは、年長の育ちとしてはたくましささえも感じます。家庭から離れ、幼稚園に一泊することでプレッシャーを感じている子どももいますが、仲間に支えられてそれぞれの子どもが一段と成長してることを実感します。夏休み明けの2学期、この子どもたちの生活のありようが楽しみでもあります。
2011年6月6日月曜日
全国保育問題研修会
始めて東北新幹線「つばさ」に乗って山形に着き、2日間勉強勉強の日々を過ごしました。まだまだ日本中に子どもの事を真剣に考えている人は大勢いる事を確認でき、自分自身も身の引き締まる思いで帰ってきました。
2011年5月19日木曜日
子やぎが生まれた
前回のブログでは北で起った不幸な出来事をお伝えしましたが、今回は幸せいっぱいの出来事をお伝えできる事を喜んでいます。
子やぎが生まれました!!!
5月18日未明の事でしょう。朝、子どもたちが園にくると子やぎが生まれていました。子どもたちは大騒ぎ、園中にあっという間に生まれたニュースは広がりました。この日1日、子どもたちは幸せな気分に包まれたようです。園庭であそんでいる子も、そわそわして事あるたびにヤギ小屋に通っていました。もう子どもたちから家庭に情報は伝わっているかもしれませんが、子どもから聞きつけたお母さん方が何人かヤギ小屋に子やぎを見に来ています。どの方の第一声も、「かわいい、わーっ小さい」です。生まれてくるという事はこんな感情が湧き出てくるのでしょう。私たちの感情の中に小さきものはいとおしいというDNAが組み込まれているのかもしれません。長い間見ていても飽きません。一瞬一瞬がいとおしく思えます。年長組の子どもたちも同じような感情が生まれているのではないかと思います。「かわいいね、ねえ、さわってもいい」いろんな要求が出てきます。子どもたちにとって、日常の心の動きから違った心の動きが働いているのは間違いないことと思います。こんな感情が生まれてくるヤギに感謝して、子どもたちと一緒に世話をし、日々の心をもう一度ピュアにしていこうと思います。
「小さきものはいとおしい」、目の前にいる子どもたちも「小さきもの」です。日々、いとおしいという感情を忘れないようにしましょうね。
2011年5月6日金曜日
東北の旅の終わり
2泊3日の東北への旅が今日8時、終わりを告げました。この短い間でしたが、今回の会いたい人にすべて会ってきました。福島の阿部農園の阿部さん、今年の梨の受粉が終わり次ぎへの農作業の段階に入っています。まだまだ原発の心配はありますが、その現地にしっかりと根付き暮らしています。福島駅前の本屋のレジの横には原発や放射能などの本の特設コーナーが設けられていました。福島の人たちは必死に今時分達の周りでおこっている事態が何なのか知ろうと努力している事が解ります。私たちも自分でしっかりと知識をつけ、生きる上で必要なことを学ばなければならない必要を感じます。
角田の「なかよし保育園」の藤崎さん。彼の豪快な笑いや子供感は彼の人間を見る目の優しさから来るものでしょう。ひと山向こうの悲惨な状況に胸を痛め、私たちを目の前でおこっている現実を直視するよう促してくれました。あの光景や人びとの心の痛みは、ほんの数時間で理解するなどとはおこがましいですが、あの静けさや広がり、光景を直接見る事が出来たのは自分自身の心に何らかの化学変化が起こっている事を実感するものでした。角田女子高校の体育館には未だに引き取り手の無い遺体が安置されているそうです。また、山元町の公立保育園の園児が3人津波に流されて亡くなったそうです。そのお母さんの知り合いの人の話も聞くことが出来ました。この悲しみを乗り越えるのはまだまだ先なのかもしれませんが、しっかりと胸に刻んできたつもりです。
古川の藤川さん。卒園した子どもは、もう私の背を越え、たくましく日焼けした顔を見せてくれました。しかし、そこには幼い時の面影がまだしっかりと残っていました。お姉ちゃんとは会えなかったのですが、あの泣き虫だった女の子は、自分自身の将来を見つめ、しっかりと生活している事を同じく泣き虫のお母さんから聞いて安心しました。2人ともこれからも泣き虫のお母さんを支えていってくれるでしょう。東北の地は寒い風が吹いていました。この地で親子が暮らしています。私たちの環境から遠く離れていても温かい心はしっかりと根付いている事を確認し、嬉しい気持ちになりました。
最終の日、松島の本村さんの実家に寄ってきました。私の音楽仲間で、ベースを担当している彼の実家は松島海岸の目の前で唯一、手作りこけしの店を開いています。彼らご夫婦も連休を利用して実家の手伝いに戻っていました。店は津波に襲われ、一階の店舗は全壊してしまいました。しかし、松島湾が津波の力を吸収してくれ何十メートルの高さではなく、約2メートルの津波のおかげで店の一階だけで被害は収まったようです。被災後から何回か実家に通い、今回は店舗部分を元通りとはいかないまでもこけしが並べられて営業が行われていました。そのこけしの中から被災したこけしを3体譲り受けてきました。このこけしたちも地震、津波の中、傷ついたり泥だらけになりながらもしっかりと立っている姿は愛らしく、私たちの心を落ち着かせてくれる佇まいです。幼稚園に飾って園児達を見守っていただきましょう。
往復、連休中ということもあって20時間の車の旅になってしまいましたが、色々な思いや物語に触れ、自分自身のこれからの糧になるような経験を積ませてもらったように感じます。絵本を寄贈してくださった園のお母さん方、震災した子どもたちに希望という物語を紡ぎましたよ。子どもたち一人一人の心に物語を、そして、生きるという物語を残せたのではないでしょうか。まだまだ復興は時間がかかります。これからも引き続き心を届ける努力をしていくつもりです。そのときが来たら、また相談に乗ってください。今回の旅の結末はこの辺で終わりにします。でもまだ物語は続いています。
木都老克彦
角田の「なかよし保育園」の藤崎さん。彼の豪快な笑いや子供感は彼の人間を見る目の優しさから来るものでしょう。ひと山向こうの悲惨な状況に胸を痛め、私たちを目の前でおこっている現実を直視するよう促してくれました。あの光景や人びとの心の痛みは、ほんの数時間で理解するなどとはおこがましいですが、あの静けさや広がり、光景を直接見る事が出来たのは自分自身の心に何らかの化学変化が起こっている事を実感するものでした。角田女子高校の体育館には未だに引き取り手の無い遺体が安置されているそうです。また、山元町の公立保育園の園児が3人津波に流されて亡くなったそうです。そのお母さんの知り合いの人の話も聞くことが出来ました。この悲しみを乗り越えるのはまだまだ先なのかもしれませんが、しっかりと胸に刻んできたつもりです。
古川の藤川さん。卒園した子どもは、もう私の背を越え、たくましく日焼けした顔を見せてくれました。しかし、そこには幼い時の面影がまだしっかりと残っていました。お姉ちゃんとは会えなかったのですが、あの泣き虫だった女の子は、自分自身の将来を見つめ、しっかりと生活している事を同じく泣き虫のお母さんから聞いて安心しました。2人ともこれからも泣き虫のお母さんを支えていってくれるでしょう。東北の地は寒い風が吹いていました。この地で親子が暮らしています。私たちの環境から遠く離れていても温かい心はしっかりと根付いている事を確認し、嬉しい気持ちになりました。
最終の日、松島の本村さんの実家に寄ってきました。私の音楽仲間で、ベースを担当している彼の実家は松島海岸の目の前で唯一、手作りこけしの店を開いています。彼らご夫婦も連休を利用して実家の手伝いに戻っていました。店は津波に襲われ、一階の店舗は全壊してしまいました。しかし、松島湾が津波の力を吸収してくれ何十メートルの高さではなく、約2メートルの津波のおかげで店の一階だけで被害は収まったようです。被災後から何回か実家に通い、今回は店舗部分を元通りとはいかないまでもこけしが並べられて営業が行われていました。そのこけしの中から被災したこけしを3体譲り受けてきました。このこけしたちも地震、津波の中、傷ついたり泥だらけになりながらもしっかりと立っている姿は愛らしく、私たちの心を落ち着かせてくれる佇まいです。幼稚園に飾って園児達を見守っていただきましょう。
往復、連休中ということもあって20時間の車の旅になってしまいましたが、色々な思いや物語に触れ、自分自身のこれからの糧になるような経験を積ませてもらったように感じます。絵本を寄贈してくださった園のお母さん方、震災した子どもたちに希望という物語を紡ぎましたよ。子どもたち一人一人の心に物語を、そして、生きるという物語を残せたのではないでしょうか。まだまだ復興は時間がかかります。これからも引き続き心を届ける努力をしていくつもりです。そのときが来たら、また相談に乗ってください。今回の旅の結末はこの辺で終わりにします。でもまだ物語は続いています。
木都老克彦
2011年5月4日水曜日
東北の旅2日目
今日は角田市のなかよし保育園へ絵本を届けに福島から入りました。阿武隈川を右に見ながら春の陽光の中、あんな大きな出来事があったことを忘れるようなのんびりした風景です。川の向こうには阿武隈鉄道があり、電車がいつ来るのかと車を走らせていましたが見る事は出来ませんでした。後で藤崎さんに聞いたところ電車は線路が曲がってしまい今復旧の最中であると聞きました。なかよし保育園に着き、なかよし保育園の前に阿武隈鉄道が通っていてその線路上を復旧の車両が行き来しているのが見え、やはり地震の影響があったことを実感しました。
なかよし保育園は田園の中ですごくのんびりした風景の中に立っています。でも、保育園から南の方に見える山の向こうは山元町で津波の被害が甚大なところと聞き、この風景から考えると全く信じられないの一言でした。午後、藤崎さんが山元町の津波の被害を見に行かなければと私たちを被害地まで連れていってくれました。その光景は私がテレビで見る光景とは別物でした。自分のまわりの災害の広がりや深さ、何とも言えない罪悪感、ここに居ていいのだろうかという戸惑いなど、色々な思いが交錯します。そんな意見を藤崎さんにぶつけると帰ってきた答えが「生きているもんが、この風景を見てしっかりと感じなければ死んだもんが浮かばれない」「この風景を実感して、今後の考えをしっかりと持つんだ」と、今回の旅で、私なりにある程度は覚悟を決めてきたつもりでしたが、実際この風景の前に立つと、自然の力の大きさや残忍さがこれでもかと私の心の中にドンドンと音を立てるように踏み込んできます。家々は刃物でそぎ落とされたように切り捨てられ、いや、もぎ取られると言った方がいいのかもしれません。あらゆるものが大きな手で握りつぶされ一カ所に集められているようです。ここに無数の家があった痕跡すら跡形も無くなっているのです。始めは田んぼが続いているのかと思った場所に無数の家が点在していたと聞かされ、その痕跡すら流し去った「津波」という恐ろしいものに改めて人間がいかに無力であるかを思い知らされました。
1時間あまりの訪問でしたが、私の疲労は何日も眠っていないかのように頭の後ろから何かがぐいぐいと押しているような感覚が襲ってきます。車で一分も走らないうちに同じ山元町でも全く被害に遭っていない地域に入ります。そこはごく日常の風景です。レストランは営業し、車窓に映る家々はごくあたりまえの日常を過ごしています。このギャップにも私は戸惑いを感じました。後で聞くと、そのギャップに現地の人びとは悩まされているとも聞きました。ある一線を越えて完膚なきまでも打ちのめされた人びとと、まったく日常に変わりのない人が同じ地域で暮らしている難しさ、なかなかそのギャップを人びとは乗り越えられないでいるという事も。
私がいつも考えている、人と人との関係が違った形でこの場所で展開されている事を実感しました。条件の違いをどのように乗り越えて行くのか、それには何が必要なのか、この難しい局面を人間はどのような知恵を持って乗り越えて行くのかは、人それぞれが素直に相手に向かい合う意外では解決できないのではと思います。いっしょに悲しみ、でもそこから希望を見いだす事でお互いに繋がってゆこうとする意思をお互いに率直に出し合いながら前に進む意外に手は無いのではとも思います。でも、この現状からお互いに繋がって行こうとする意思は多少時間がかかる事も否めないのかもと思います。私もまだ胸の痛みに違和感を覚えて、考えがまとまりません。もう少し考えましょう。そして、良い答えがある事を念じましょう。
明日は松島に行ってきます。また、自分の考えをじっくりと現実と照らし合わせてみようと思います。この次にこのブログを書くのは自宅のパソコンの前になると思います。そのときまでに考えや思いがまとまればいいとは思いますが、まだまだ現実の方が遥か先の方へ行ってしまっています。もう少し時間をもらいたいと思います。
木都老克彦
なかよし保育園は田園の中ですごくのんびりした風景の中に立っています。でも、保育園から南の方に見える山の向こうは山元町で津波の被害が甚大なところと聞き、この風景から考えると全く信じられないの一言でした。午後、藤崎さんが山元町の津波の被害を見に行かなければと私たちを被害地まで連れていってくれました。その光景は私がテレビで見る光景とは別物でした。自分のまわりの災害の広がりや深さ、何とも言えない罪悪感、ここに居ていいのだろうかという戸惑いなど、色々な思いが交錯します。そんな意見を藤崎さんにぶつけると帰ってきた答えが「生きているもんが、この風景を見てしっかりと感じなければ死んだもんが浮かばれない」「この風景を実感して、今後の考えをしっかりと持つんだ」と、今回の旅で、私なりにある程度は覚悟を決めてきたつもりでしたが、実際この風景の前に立つと、自然の力の大きさや残忍さがこれでもかと私の心の中にドンドンと音を立てるように踏み込んできます。家々は刃物でそぎ落とされたように切り捨てられ、いや、もぎ取られると言った方がいいのかもしれません。あらゆるものが大きな手で握りつぶされ一カ所に集められているようです。ここに無数の家があった痕跡すら跡形も無くなっているのです。始めは田んぼが続いているのかと思った場所に無数の家が点在していたと聞かされ、その痕跡すら流し去った「津波」という恐ろしいものに改めて人間がいかに無力であるかを思い知らされました。
1時間あまりの訪問でしたが、私の疲労は何日も眠っていないかのように頭の後ろから何かがぐいぐいと押しているような感覚が襲ってきます。車で一分も走らないうちに同じ山元町でも全く被害に遭っていない地域に入ります。そこはごく日常の風景です。レストランは営業し、車窓に映る家々はごくあたりまえの日常を過ごしています。このギャップにも私は戸惑いを感じました。後で聞くと、そのギャップに現地の人びとは悩まされているとも聞きました。ある一線を越えて完膚なきまでも打ちのめされた人びとと、まったく日常に変わりのない人が同じ地域で暮らしている難しさ、なかなかそのギャップを人びとは乗り越えられないでいるという事も。
私がいつも考えている、人と人との関係が違った形でこの場所で展開されている事を実感しました。条件の違いをどのように乗り越えて行くのか、それには何が必要なのか、この難しい局面を人間はどのような知恵を持って乗り越えて行くのかは、人それぞれが素直に相手に向かい合う意外では解決できないのではと思います。いっしょに悲しみ、でもそこから希望を見いだす事でお互いに繋がってゆこうとする意思をお互いに率直に出し合いながら前に進む意外に手は無いのではとも思います。でも、この現状からお互いに繋がって行こうとする意思は多少時間がかかる事も否めないのかもと思います。私もまだ胸の痛みに違和感を覚えて、考えがまとまりません。もう少し考えましょう。そして、良い答えがある事を念じましょう。
明日は松島に行ってきます。また、自分の考えをじっくりと現実と照らし合わせてみようと思います。この次にこのブログを書くのは自宅のパソコンの前になると思います。そのときまでに考えや思いがまとまればいいとは思いますが、まだまだ現実の方が遥か先の方へ行ってしまっています。もう少し時間をもらいたいと思います。
木都老克彦
2011年5月3日火曜日
東北への旅
今まで3月11日におこった地震の状況を私の頭ではなかなか理解が出来ず、このブログを書きたいとは思ったのですがなかなか書けずにいました。じっくりと状況を見極め自分の肌で、そして、現地の人たちの思いを聴く事で自分の理解を納得のいくものとしようと東北の旅に出かける事にしました。チャリティコンサートで皆さんの思いを自分なりに受けたつもりでいます。私が目となり耳となる事で帰った時に皆さんに納得できる話が出来たらと思っています。
5月3日朝、幼稚園の小さいバス(白バス)に皆さんの善意の「絵本」を満載にして家を出ました。連休の中間日なので混雑を予想はしていましたが、東京を脱出するのに3時間半、東北道に乗ると70キロの混雑に巻き込まれ、福島へ着いたのは5時半、休みなしで9時間の旅になってしまいました。阿部農園の梨畑を見たかったのですが、もう既に雨が降っていて薄暗くなってしまい今回はあきらめる事にしました。そのかわり、阿部さんの居間にお邪魔しておばあちゃんや阿部さんと地震の時の事、原発の事など小1時間お話する事が出来ました。福島県の指導で、つい最近までジャガイモの種をまく為の畑を耕す事ができなかったことや阿部さんの実家の南相馬市の田んぼは、放射線量が0.6ミリシーベルトで本来は田植えが出来、収穫が見込まれるにも関わらず、風評被害で農家は福島の米は売れないと判断して作付けを行なわない事などを聞きました。農家のこれからの生活の事を考えるとくらい気持ちになります。本来、農家は土に生きるのが本望なのですが、得体の知れない怪物がこの街や村全体を包み込んで先の見えない戦いを挑んできているようです。阿部農園の梨はとりあえず受粉を終えたそうです。今年の秋には収穫が見込まれるのですが、この風評被害の事を考えると先が見えないとも言っておられました。私たちに出来る事は少しでもこの「風評被害」と言われる怪物にこの地の人たちと心を同じくして戦いを挑み、打ち負かしていこうという心構えをしなくてはと思います。
福島の町は何ら東京や横浜の町と変わりありません。町行く人は思い思いに会話をして歩いています。しかし、それぞれの人には思いがあるのです。「地震」原発」「風評」こんな得体の知れない不安の中でこの町の人たちは暮らしています。この地から遠くはなれたところに住んでいる私たちが理解しようとする努力をこれからも続けていかなければならないと改めて実感しました。今、8時になりました。明日は角田の「なかよし保育園」へ行ってきます。この旅の目的の大部分を占めている皆さんの「絵本」を無事に届けようと思います。
ドジな私はデジカメのコードを忘れ、パソコンに読み込めません。ブログに画像を貼付けられないので文章だけになってしまいますが、帰ったら画像も含めて今回の旅の思いを書こうと思っていますのでごめんなさい。
木都老克彦
木都老克彦
2010年12月4日土曜日
出会いと別れ
ヤギのユキちゃんが死んでしまった。もう何年この幼稚園にいたのだろう。昨年、自分の子どもを看取ってから一年間、体の不自由さにもめげずしっかりと生きてきたのだが、昨日の朝逝ってしまった。子どもたちは角があるので雄だと思っていた。世話をするうちにそれは間違いだと気づくのだが、外見からすると角があるのが雄でないのが雌と思うらしい。
ユキちゃんが逝った朝、ハルちゃんが具合が悪くなった。獣医の先生に来てもらって抗生剤を打ってもらって昨日の夜遅く見に行ったときは元気になりそうだったのだが、今朝ヤギ小屋に行ってみるともう息をしていなかった。立て続けに2頭もいなくなってしまったヤギ小屋に残されたププリンがハルちゃんの埋葬のとき短い声で「メェーッ」とこちらを見て鳴いていた。
2頭も立て続けに逝ってしまった原因が知りたくて、ハルちゃんとププリンが生まれた繁殖家に電話で聞いてみた。数十頭のヤギを飼っている繁殖家なので、色々な経験があるので、幼稚園のヤギの環境や食べ物など、時間をかけて相談したところ、どうやらカビが原因であろうという結論に達した。
子どもたちがサツマ芋掘りをした後、ヤギの餌にとサツマイモのツルを畑の端に積んでおいたのだが、その積んでいたのが悪かったらしい。積まれた下のツルにカビが生えていたのを知らず、ヤギの餌にと畑から運んでヤギに与えてしまった。ヤギは非常に用心深い動物で、泥の付いた草や一度地面に落ちた野菜は口を付けようとはしないのだが、とにかくサツマイモのツルは大好物で、どの餌よりも喜んで食べるのが裏目に出てしまったようだ。
子どもたちは出会いと別れを経験した。子やぎとの出会いと別れ、餌をやったり掃除をしたり、普段の生活の中で同じ時代を生きてきたのだが、先に逝ってしまった。子どもたちにとって生と死を考えることは大変難しいと思っている。ましてや、子どもたちにとって死は一番遠いところにあるものと思っている。当然のことではあるのだが、よりよく生きるのは死を意識することで振り返られるのではと思う。子どもたちにはまだ無理と言ってしまえばそうなのだが、私はあえてそれらも生活の一部として意識してもらいたいと願っている。よりよく生きることを経験で学んでほしいのだ。
ユキちゃんの埋葬は深い穴を掘ってから行なわれた。その間、ヤギ小屋には何人もの子どもたちが入れ替わり立ち代わりユキちゃんに会いにきた。「ユキちゃんにさわってもいい」「毛はふわふわなのに中は冷たいね」「ユキちゃんの目、透き通っていない」子どもたちがユキちゃんの「死」から子どもたちはいろんなことを感じている。生きるということの疑問や実感の入り口に立っているのだろう。こんな経験を最後の最後に子どもたちに残してくれたユキちゃんにお礼の言葉を言いたい。「ありがとう」そして「さようなら」
木都老 克彦
ユキちゃんが逝った朝、ハルちゃんが具合が悪くなった。獣医の先生に来てもらって抗生剤を打ってもらって昨日の夜遅く見に行ったときは元気になりそうだったのだが、今朝ヤギ小屋に行ってみるともう息をしていなかった。立て続けに2頭もいなくなってしまったヤギ小屋に残されたププリンがハルちゃんの埋葬のとき短い声で「メェーッ」とこちらを見て鳴いていた。
2頭も立て続けに逝ってしまった原因が知りたくて、ハルちゃんとププリンが生まれた繁殖家に電話で聞いてみた。数十頭のヤギを飼っている繁殖家なので、色々な経験があるので、幼稚園のヤギの環境や食べ物など、時間をかけて相談したところ、どうやらカビが原因であろうという結論に達した。
子どもたちがサツマ芋掘りをした後、ヤギの餌にとサツマイモのツルを畑の端に積んでおいたのだが、その積んでいたのが悪かったらしい。積まれた下のツルにカビが生えていたのを知らず、ヤギの餌にと畑から運んでヤギに与えてしまった。ヤギは非常に用心深い動物で、泥の付いた草や一度地面に落ちた野菜は口を付けようとはしないのだが、とにかくサツマイモのツルは大好物で、どの餌よりも喜んで食べるのが裏目に出てしまったようだ。
子どもたちは出会いと別れを経験した。子やぎとの出会いと別れ、餌をやったり掃除をしたり、普段の生活の中で同じ時代を生きてきたのだが、先に逝ってしまった。子どもたちにとって生と死を考えることは大変難しいと思っている。ましてや、子どもたちにとって死は一番遠いところにあるものと思っている。当然のことではあるのだが、よりよく生きるのは死を意識することで振り返られるのではと思う。子どもたちにはまだ無理と言ってしまえばそうなのだが、私はあえてそれらも生活の一部として意識してもらいたいと願っている。よりよく生きることを経験で学んでほしいのだ。
ユキちゃんの埋葬は深い穴を掘ってから行なわれた。その間、ヤギ小屋には何人もの子どもたちが入れ替わり立ち代わりユキちゃんに会いにきた。「ユキちゃんにさわってもいい」「毛はふわふわなのに中は冷たいね」「ユキちゃんの目、透き通っていない」子どもたちがユキちゃんの「死」から子どもたちはいろんなことを感じている。生きるということの疑問や実感の入り口に立っているのだろう。こんな経験を最後の最後に子どもたちに残してくれたユキちゃんにお礼の言葉を言いたい。「ありがとう」そして「さようなら」
木都老 克彦
2010年8月29日日曜日
長い間お待たせしました。
5月のコンサート以来、いろいろなことがありましてお待たせいたしました。この1学期の間、子どもたちの生活はすっかり金井っ子らしさを増し、あそびをどん欲に追求する姿が多く見られるようになりました。私は子どもたちの要求に従って竹でおもちゃを作る毎日です。
前園長はこの作業を何十年も続け、卒園した子どもたちが園にくると竹の剣の話やおもちゃの話が多く出ます。子どもたちの心に残っているものがただ単に竹の剣やおもちゃを作ってもらった。という話だけではなく、そこには前園長との心の交流が必ずと言っていいほどちりばめられていました。このことは、私としても理解はしていたつもりでしたが、その奥深さを理解するのに数年を要してしまいました。
この園を受け継いだとき、すぐにでも子どもたちの要求する竹のおもちゃ作りをしようと思いました。しかし、この竹のおもちゃ作りは前園長と子どもたちの関わりの多くを担っていると感じ、あえて自分と今の子どもたちとの関係を自分なりに創ろうと心がけようと心に誓いました。そんな理由であえて竹細工を作らなかった時期がありました。でも、子どもたちのあそびを見つめると、外で元気にあそぶだけではなく、じっくりと物事に向かうあそびや道具を自分自身の分身として扱うことで得られる子どもたちの喜びや充実感、あえて違う視点で言いますと、(人間が太古から長い間をかけて培ってきた自由の獲得)などという大きな考えが頭に浮かんできました。
実際、子どもたちが道具を使いこなすことで、得られる喜びは、今迄、実現できなかったことが自分の手や足で実現できることへの喜びではないかと感じることが多々ありました。自分の意思を持って物を自由に扱うことで、そこに自分自身の感情をも入れ込むような感覚が子どもたちの生活やあそびの核になっていることも気づきました。また、あそびだけではなく感情の育ちや関係性の育ちをも総括するような大きな育ちとも連動しているように感じました。
私が竹細工を作っていると、子どもたちはどんどんと要求してきます。「ここにギザギザをつけてくれ」「ここはもうちょっと細くしてくれ」「これをつけてくれ」色々な注文を出します。子どもたちにとって、目の前で出来ていくおもちゃに注文をつけてよりそれらしくしたいのでしょう。自分で竹の剣にテープを巻いたり笛に色を塗ったりする子はいますが、まだ自分自身で道具を使いこなして作っていく子どもは出てきません。しかし、目の前で自分の願望が実現できる喜びを知った子どもたちは、目の前でナイフやノコギリ、ナタなどを使いこなして魔法のようにおもちゃを作り出しているお手本を見ているうちに必ず自分でやってみたくなるに違いありません。そんな子どもたちとの毎日のやり取りや心の動きを見ていると、子どもたちとじっくりと向かい合い、本来の子どもの心を感じることが出来るものだと改めて認識しました。決して作ったおもちゃを大切にしてほしいのではないのです。(まあ、ゾンザイよりもいいでしょうが)その作られたものを子どもたちがどんな思いを持って作ってほしいと感じるか、そのものからどんなことが生まれるのかを期待しながら、毎日作っています。
前園長はこの作業を何十年も続け、卒園した子どもたちが園にくると竹の剣の話やおもちゃの話が多く出ます。子どもたちの心に残っているものがただ単に竹の剣やおもちゃを作ってもらった。という話だけではなく、そこには前園長との心の交流が必ずと言っていいほどちりばめられていました。このことは、私としても理解はしていたつもりでしたが、その奥深さを理解するのに数年を要してしまいました。
この園を受け継いだとき、すぐにでも子どもたちの要求する竹のおもちゃ作りをしようと思いました。しかし、この竹のおもちゃ作りは前園長と子どもたちの関わりの多くを担っていると感じ、あえて自分と今の子どもたちとの関係を自分なりに創ろうと心がけようと心に誓いました。そんな理由であえて竹細工を作らなかった時期がありました。でも、子どもたちのあそびを見つめると、外で元気にあそぶだけではなく、じっくりと物事に向かうあそびや道具を自分自身の分身として扱うことで得られる子どもたちの喜びや充実感、あえて違う視点で言いますと、(人間が太古から長い間をかけて培ってきた自由の獲得)などという大きな考えが頭に浮かんできました。
実際、子どもたちが道具を使いこなすことで、得られる喜びは、今迄、実現できなかったことが自分の手や足で実現できることへの喜びではないかと感じることが多々ありました。自分の意思を持って物を自由に扱うことで、そこに自分自身の感情をも入れ込むような感覚が子どもたちの生活やあそびの核になっていることも気づきました。また、あそびだけではなく感情の育ちや関係性の育ちをも総括するような大きな育ちとも連動しているように感じました。
私が竹細工を作っていると、子どもたちはどんどんと要求してきます。「ここにギザギザをつけてくれ」「ここはもうちょっと細くしてくれ」「これをつけてくれ」色々な注文を出します。子どもたちにとって、目の前で出来ていくおもちゃに注文をつけてよりそれらしくしたいのでしょう。自分で竹の剣にテープを巻いたり笛に色を塗ったりする子はいますが、まだ自分自身で道具を使いこなして作っていく子どもは出てきません。しかし、目の前で自分の願望が実現できる喜びを知った子どもたちは、目の前でナイフやノコギリ、ナタなどを使いこなして魔法のようにおもちゃを作り出しているお手本を見ているうちに必ず自分でやってみたくなるに違いありません。そんな子どもたちとの毎日のやり取りや心の動きを見ていると、子どもたちとじっくりと向かい合い、本来の子どもの心を感じることが出来るものだと改めて認識しました。決して作ったおもちゃを大切にしてほしいのではないのです。(まあ、ゾンザイよりもいいでしょうが)その作られたものを子どもたちがどんな思いを持って作ってほしいと感じるか、そのものからどんなことが生まれるのかを期待しながら、毎日作っています。
2010年5月10日月曜日
コンサートを終えて
連休のなか日にもかかわらず、多くの人に私たちのコンサートにきていただき感謝しています。幼稚園のお父さんと歌う表現を始めてすでに15年の日々が過ぎてしまいました。はじめは子どもたちの歌を中心に歌い始めましたが、だんだんと自分たちのありのままの表現を求め15年が過ぎてしまったというのが実感です。そんな流れのなかで、共感する仲間が次々と現れ、仲間たちとのコンサートを始めて5年がすぎようとしています。
今年は一つの区切りとして、自分たちの共感をもっと広げようと試みました。当日のコンサートで私たちの表現を受け取ってくれた皆さんと、もっと広い視野に立った繋がりを求め、チャリティーという表現を試みました。さすがに繋がることに違和感を感じていない皆さんの心が一つの形となりみごとに結実した思いです。自分たちだけではないんだと思える今回のコンサートを終え、また新たに皆さんとの繋がりを再認識できた良い日になったことを感謝しています。
日常の園生活に戻り、子どもたちとの遊びを夢中になって遊んでいるとき、自分と子どもたちを繋ぐ見えない「やさしさ」や「思いやり」が皆さんの大きな心の意思の力で私と子どもたちの繋がりの根底に流れていることを感じ、うれしく思いました。「人は人の中でしか成長できない」とはよくいわれる言葉です。こんな年になっても、子どもたちや皆さんから成長を見守られている感覚は非常にうれしい感覚だと実感します。
これからも、もっともっと成長していきましょう。仲間とともに。
2010年4月21日水曜日
ママがいいの!
年少のNくん。前日は私と園庭でコマを一緒に回しました。楽しそうに私とあそんだのですが、今日の朝は「ママがいいの!」と半泣きです。当然、私よりママの方が良いのはあたりまえ、まだまだ園の生活の中で頼れる大人の存在は先になりそうです。でも、園長先生とコマをやるんだと、振り絞るような声を出していたことに、これから先の頼りにされる喜びの一端を感じ、嬉しく思いました。
同じく年少のHちゃん。「ママがいいの!!」とこちらは本格的に泣いています。バスに乗り込んで、ママがいないことを察し少し諦めかけたのか今度は「◯◯先生は?」とバスの中に担任の姿を求め声を出し始めました。でも、まわりは子どもたちだけなのを感じたのか、すぐに「ママは!!」「ママは!!」と泣き始め、バスコースが園につくまで泣いていましたが、園に着いて、担任が笑顔で迎えると、泣くのを忘れて担任に抱きついていました。担任は腰を落として迎え、「よくがんばったね」とHちゃんの泣きたい気持をしっかりと受け止めていました。
不安な子どももいれば、全然平気な子どももいます。バスに乗るのが楽しみで楽しみで仕方がないようで、すぐに隣りの年長の子たちと騒ぎ始めている子もいます。
入園して何日か過ぎましたが、まだまだ子どもたちは本格的に園の生活に入り込んでいる様子ではありませんが、子どもたちの表情や行動を注意深く見ていると、不安な気持の中にこの園の生活への期待や安心感があることを肌で感じ始めているのではないかと思います。
私たちは、決して急ぎません。子どもたちの不安な気持や泣きたい気持を我慢させることはしたくはありません。「泣きたいよね」「泣いても良いんだよ」という気持を子どもたちに伝えようと努力しています。この努力の一端でも子どもたちが感じてくれたら、園の生活に「希望」を見いだせるのではと思っています。
ゆっくりでいいんです。この先にはすばらしいことが待っていることに希望を持って。
2010年4月13日火曜日
本が出来ました。
昨年、「すばる舎」という本の出版会社から本の執筆の依頼があり、何回かの校正の後、本が出来上がりました。保育の専門書なので子どもの教育に関する記述がほとんどなのですが、幼稚園の子どものつぶやきから保育者が子どもたちをどのように感じ、育てて行くかの考えが盛り込まれています。題は、子どもに好かれる先生の「ことばがけ」という題ですが、いかに私たち保育者が普段の子どもたちの言葉から子どもたちの育ちを感じ、どのように子どもたちの教育を考えているかの方向性を示した本になっています。専門書なので値段が高いこともあって皆さんの手元には届かないと思いますが、よかったら本屋さんで探して見て下さい。
この本の話は、佐々木正美先生からの紹介があり「すばる舎」からの依頼があって実現しました。当園の他に2園の子どもたちの教育を真剣に考えている園の園長先生と共著になっていて、私たちが子どもたちを育てる基本的な考えが書かれている本だと思います。対象は保育者向けですが、今の金井幼稚園の教育方針の考え方も含めて、執筆したつもりですので興味のある方は是非手に取って読んでみても良いのではと思います。(値段が高いのが気になりますが)
また、「えんがわ」や「園長を囲んで」で詳しいお話をさせて頂きたいと思います。そのときには、実際の本を手に皆さんに説明したいと思いますので、そちらへの参加よろしくお願い致します。
2010年4月6日火曜日
入学式に行ってきました。
金井の子どもは小学校に行くと椅子に座れないとよく耳にします。私はそんなことはないと思っていますが、この入学式の古式騒然としたものを理解せよというのがまず間違いでしょう。また、授業では子どもたちの本当に知りたいことを吟味して提案しているかが問われることでしょう。本来、子どもたちは「知りたがりで、やりたがり」なものだと思っています。事実、園での子どもたちはなんでもやりたがり、失敗を重ねて答えを体感できる子どもたちに育っている筈です。そして、思いっきり体を動かしたり、感動したり、共感する経験を通して、何が正しくて、何が間違っているかも理解していると思っています。
入学式の1組の先頭と中程に見慣れた顔がありました。2組の中程にも見慣れた女の子がいます。3組にも、4組にもいます。卒園させた子どもたちの行動が気になります。(椅子に座れないのか、いやそんなことはない、突然、質問なんかしないだろうか。)目の前を通過する子どもたちは堂々と入場し、しっかりとこの場の雰囲気を理解していると感じます。椅子に座って校長先生の解らない話しもじっと聞いています。他の園の子どもたちは足をぶらぶらさせたり、上体を揺らしたりしています。
帰り道のサクラも雨にぬれていました。寒い入学式になってしまいました。でも、子どもたちは大丈夫。しっかりと前を向き、自分の進む道を見いだしています。これから、小学校という違った環境に慣れ、多くの友だちと共感できる生活を送れることを願っています。
園に返ると、園庭中にサクラの花びらが絨毯のように敷き詰められていました。もうサクラは散ってしまいそうです。入園式には既に散ってしまい、新入園の子どもたちはサクラ吹雪の中、新たなスタートは切れないのですが、新入学の子どもたちの新たな道へ進む大きな力を感じ、園の新入園の子どもたちの生活をしっかりと創って行こうと改めて感じました。
2010年4月2日金曜日
さくら、桜、サクラ
春休みはクラス会や園庭の花見の会が何回か行なわれましたが、ちょうど寒さが戻って来た時期に当たり、とても園庭での花見が出来ず、部屋の中で寒さに震えていたようで残念に思いました。今週末は確実に暖かさと天候の良さが戻ってきますので、よかったら出かけてきませんか?みごとなサクラの下で花見が出来ること請け合いですよ。
もうすでに春休みは終盤になってしまい、毎日の作業ももう少しになりました。新年少の部屋は内部の増築は終わり、ベランダの工事に移りました。 なんとか間に合いそうで安心しています。下駄箱は私がしっかりと作りましたので機会があれば見て下さい。ヤギたちも食欲旺盛で、元気です。ガーコは小さい子どもを追いかけ回すようになってしまい、何人かの子どもが泣いてしまい、その度に、私が「強気になってガーコを逆に追いかけなさい」と言っています。アヒルやガチョウの性格として、人を追いかける性格が元々あるのですが、逃げる人を見ると必ず追いかけます。皆さん、ガーコに対面した時は、強気で追いかけるようにして下さい。そうしないと追いかけてきますよ。
2010年3月28日日曜日
新年度の準備
幼稚園は春休みに入りました。春の別れの名残か、卒園児の同窓会が盛んに行なわれています。小学校の卒業で次ぎには中学校になる卒園生や、中学校から高校生になる子どもたが入れ替わり立ち替わり園を訪問し、同窓会を開いています。久しぶりに会う子どもたちは、身体が大きくなっているだけでほとんど変わらないように思えます。実際は大きく成長しているのでしょうが、園に来ると、昔の楽しかったあそびや仲間との再会に興奮気味に園庭をかけ回ったりしています。
そんな声を聞きながら、私は新年度の準備に追われています。この春休みの時間を使って、新年度の年少組のクラスの増築や下駄箱の製作に追われています。本来は専門業者に任せていれば良いものの、自分の思いや費用的なことを考えると自分の技術と相談しながらこつこつと作業にいそしんでいます。休みに入ると、園の足りないものやこれがあるときっとおもしろいんじゃないかという思いが膨らんで、あれもこれもと欲が出て来てほんとうに時間がたりません。在園の子どもたちが新学期になったら見つけてくれるでしょう。そのためにも毎日こつこつと頑張りましょう。
このところの寒さで桜の花も足踏み状態です。この桜が散る頃には新入の子どもたちと在園の子どもたちが園庭中をおもいっきり使って遊び回ることでしょう。それまでは毎日作業に勤しみましょう。
2010年3月19日金曜日
希望に胸を高鳴らせて。
一夜明け、今日は年中と年少だけがバスに乗りました。年長の子どもたちがいないのは、こんなに静かなんだと年長のエネルギーのほとばしりを実感しました。年中や年少も4月からの園の生活の中で年長や年中になる実感が出たときにもっとエネルギッシュになるだろうと予想します。
バス停の其処此処で卒園した年長がバスを見送りに来てくれました。ある子はバスを追いかけ、ある子は手を夢中になって振っていました。園からの旅立ちを惜しむようにいつまでも手を振っている子どもたちに、嬉しいと思う心と、希望に胸高鳴らせて次の道に進んで欲しいとの思いを念じました。
この一年の年長の子どもたちの成長は著しいものと信じています。必ずや次のステップで希望という信じられるものを獲得することを確信しています。
頑張れ、新一年生!!!
2010年3月15日月曜日
お弁当、お弁当、うれしいな!
写真にあるお弁当を見て、懐かしく思う人もいるでしょう。2〜3年間毎朝お弁当を作っていたお母さんにとっては、子どもたちが「全部食べたよ」や「このおかずが美味しかった」など、日々の子どもたちの食べる様を想像しながら、一生懸命に作った日々でしょう。卒園したお母さんに聞くと、子どもたちのお弁当作りは、大変なこともあるけれど、自分の愛情を子どもたちのいちばん興味のある、食べること、に借りて表現できること、そして、子どもたちの笑顔がいちばんの励みということでした。
今、食育と言われていることが広く伝わっています。この食育の本質は何でしょう?お母さんが子どもが食べる物に愛情を注ぐことがいちばんではないでしょうか。お弁当作りは毎日のことです。そんなに一生懸命に凝ったお弁当を作ると疲れてしまいます。(すごく楽しく毎日凝ったお弁当が作れる人や、自分の趣味のようになっている人は別ですが)子どもたちが、「今日もお母さんの作ったお弁当はおいしかったよ」と言ってくれるお弁当で良いのではと思います。今は便利な冷凍食品も多くあります。それらをお母さんの愛情で変身させて下さい。
私が担任をしていたクラスのある女の子が、お弁当箱に真っ白なご飯だけを持って来たことがありました。びっくりしてその子に聞いてみるとこんな答えが返ってきました。「これはね、田舎のおばあちゃんが毎日田んぼに出て、一年かかって作ってくれたお米なの」「昨日、送って来てくれたからお母さんに頼んだの」「お弁当、おばあちゃんのお米だけにして」って、「それは美味しいだろうね、残さず食べるんだよ」
こんなことは多くはありませんが、女の子の気持とおばあちゃんの気持、お母さんの気持と担任の気持が手に取るようにわかります。こんな愛情が子どもたちの食べるということの思いにつながってくれたらと思います。
お母さん方、毎日のお弁当作りありがとうございました。子どもたちも毎日楽しく食べることが出来ました。
2010年3月5日金曜日
海賊船を作ってます
色々考えた末、今年は海賊船にしようと思いました。1月、2月と子どもたちの様子や時間を見計らってとうとう海賊船作りが始まりました。年長や年中、年少の子どもまでもが入れ替わり立ち代わりカナヅチを持ってトントンと始めました。みんな釘を打つのに夢中です。さすがに年長は上手に釘を打ちます。年中の子どもも上手に打つ子とまだぎこちない子がいます。でもみんなやりたくてしかたがありません。私がカナヅチやのこぎりを出すと我先に集まってきます。
2010年2月26日金曜日
お別れ遠足
長谷寺で昼食をとり、鳶に食べられないように気にかけながら食事を終え、由比ケ浜での水遊びに突入しました。帰りのバスの中でも眠る子どももそんなにいず、ワイワイと園に戻ってきました。楽しい一日を良い日に行なえたことに満足しています。
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