今日はOBの企画による太鼓公演です。お父さんの会OBによる蒸しちまき、肉まんの販売の準備。秘密兵器のむし器がデビユーです。次回は秋まつりにお目見えかな?
2013年9月13日金曜日
2013年9月12日木曜日
運動会だけではありません
もうすぐ運動会。でも子どもたちにとっては毎日があそびです。何がキッカケか子どもたちから始ったお化けごっこ。あれやこれやとみんなで言いあいながら形にしょうとしています。年中の子どもたちも巻き込み、どこまで行くのやら。
2013年9月10日火曜日
2013年9月9日月曜日
ドラム缶を取りに行こう
キャンプで一人の友だちがドラム缶のお風呂に入り損ねた。後からクラスのみんなに聞いたところ、もう一度ドラム缶のお風呂に入ればいいということになり、今日、クラスのみんなでドラム缶のお風呂を湧かし入りました。年長になり、一人のためにみんなで力を合わせることの楽しさを共有している様です。こんな活動も面白いと思いました。
2013年9月8日日曜日
子どもたちの感じる心
忙しさにかまけて長い間ブログを更新していませんでした。子どもたちとの生活では何ら変わったことは無いのですが、自分自身の周りの環境が忙しさの方へどんどん引っ張られているようで情けなく感じます。幼稚園の中にはみなさんにお伝えしたいことが山のようにあるのですが、いざ文章にしようとすると直接みなさんにお話しした方が伝わるのではないかと思ってしまい、なかなか書くことが出来ませんでした。
子どもたちの成長は日々前進していることを1学期が過ぎた時点でひしひしと感じました。4月、不安な面持ちで登園して来た子どもたちが友だちや環境に支えられて一回りもふたまわりも大きく成長していることを感じます。この場所で、友だちと、自分の心と相談しながら楽しいを表現している姿からもっともっとしたいという意思の現れが私の心に響いて嬉しく思える場面が多く出現することで、子どもたちがより楽しくなっている姿に感動さえ覚える今日この頃です。
私も子どもたちと同じように日々成長したいと願って、独り言を書き続けましょう。
2012年5月22日火曜日
田んぼの泥んこへ行ってきました。
とら組とらいおん組が田んぼの泥んこをやってきました。最初は子どもたちも恐る恐る田んぼに入っていて、顔も緊張しているようでしたが段々と顔つきが優しい顔に変わっていきました。子どもたちにとって土や水という自然の物がいかに大切なのかが理解出来ます。もちろん、泥や水に入ることに抵抗を感じている子どももいます。皆が皆泥んこになって満足している事は無いのですが、子どもどうしの繫がりの強さに徐々にではありますが泥を投げあったりワイワイとその場の雰囲気を楽しみ、満足している顔に変化していくのが実感されました。天候も温かく、楽しい一日になりました。次のぞう組とくま組の時もこんな風景が見られる事を期待して。
2012年4月24日火曜日
小学校の憂鬱
連休を前に今年小学校へ進学した子どもたちが園へあそびに来たり、お母さん達から子どもの様子を聴く機会があります。幼稚園で伸びやかに暮らしていた子どもたちですが、中には毎朝泣いて小学校へ通っていますという子や、楽しくてしっかりと毎日元気に通っていますという子などそれぞれです。新しい出会いが子どもたちにとってストレスと感じる子も多くいるでしょう。園では子どもたちに心に寄り添う保育を展開して来たという自負があります。でも、小学校の先生はどうやら大違いの教師もいるようで、子どもたちの心に寄り添う事など眼中になく、小学校という型に早く慣れなさい、慣れないのは子どもの所為だ母親の所為だと言い放っている先生も多くいる様です。人として育てた子どもたちを慣れるのに、型にあてはまらないからおかしいというのは、まったたくもって傲慢としか言葉が見つかりません。
傷 ついた子どもたち、傷つけられた大人たち。園へ来て話しませんか。小学校改革などと大げさな事は出来ないかもしれませんが、少なくとも話しや心の傷を受け止める事は出来ると信じています。少しでも子どもたちもお母さんも元気になってくれればと願っています。卒園したから幼稚園には足が遠のく、ではなく、気軽にお話しに来てください。私たちは胸を張って子どもたちを人として育てた自信があります、今、心が沈んでいるのならもう一回でも何回でも人として生きていた時間を思い出してください。是非、園へ来てください。
金井幼稚園 園長 木都老克彦
傷 ついた子どもたち、傷つけられた大人たち。園へ来て話しませんか。小学校改革などと大げさな事は出来ないかもしれませんが、少なくとも話しや心の傷を受け止める事は出来ると信じています。少しでも子どもたちもお母さんも元気になってくれればと願っています。卒園したから幼稚園には足が遠のく、ではなく、気軽にお話しに来てください。私たちは胸を張って子どもたちを人として育てた自信があります、今、心が沈んでいるのならもう一回でも何回でも人として生きていた時間を思い出してください。是非、園へ来てください。
金井幼稚園 園長 木都老克彦
2012年4月22日日曜日
春の憂鬱
今日も動物の世話にヤギ小屋へ行きました。掃除を始めふとヤギ小屋の床に散らばる草や葉っぱに目を留めると、それらはイチゴの茎や葉っぱでした。急いでイチゴ畑に目をやると、3分の1程度のイチゴの葉がなくなり中には根こそぎ抜けてそこいら中に散らばっているのもあります。昨日は田んぼの田起こしでした。昼近くに園に帰り、OBの読書会の日でもありましたのでそのまま2時半近くまで園にはおりました。帰る間際、イチゴの畑の草むしりをやりましたので、そのときまでは元気に育っていた事は確認していましたので大変ショックでした。
今、園ではプレイルームの流しの工事が入っているので問は開放しています。工事の人に確認したところ、夕方近く女の子の小学生が5〜6人園庭であそんでいたということでした。帰るとき、5時になったからもう帰りなさいと皆を返してくれたという事でした。園では、小学生のあそび場となればと思い5時まではあそび場として開放しています。その中で、いたずらや私たち大人の規範と子どもたちの意識のずれのは私たち大人が「叱ってやる」という立場をとっています。
園の子どもたちがこの園の環境を使いこなすまでには時間がかかります。初めて畑に足を踏み入れた子どもたちは何処そこ構わず歩き回ってしまいます。無理もありません。畑というものがどんな物なのかがわからないのですから歩き回る事に罪悪感は無いのです。しかし、生活の中で「叱ってあげる」と同時にこの畑の意味を時間をかけて伝えていきます。そんな子どもたちも年長になると、畑の収穫や自分自身の体験や経験を通して畑や動物との関わりの意味を知るようになります。大人の感覚では「柵をすれば」という簡単な答えが浮かびますが、まったく経験や体験の無い子どもたちは柵をしたとしても本質を理解出来ていないのですから柵を乗り越えてでもしたい事をするでしょう。これでは、子どもたちの学ぶ機会も私たち大人の意図する事も伝わりようが無いのです。
子どもたちを「叱って」あげましょう。イチゴの苗を抜いた子どもたちは園の卒園生ではありません。まったく経験や体験が無い子どもたちでしょう。機会があったら私は叱ります。皆さんも堂々と叱りましょう。そして、その子どもたちが理解出来ない事を感じ取りながらしっかりと伝えていってください。物事の基本の奥にある人びとの願いや気持ちが何処にあるかを心を込めて。決してその後ろにある大人達を批判しているのではない事を心に持ちながら。
2012年4月21日土曜日
田起こしご苦労さんでした。
多くのお母さん、お父さんに集まっていただいて田起こしも無事に終わりました。ご苦労さんでした。お父さんの会の皆さんにも感謝しています。これから、色々な企画を考えてくださっていて、次回は猿島へのハイキングだそうです。皆さんの参加よろしくお願いします。
2012年4月20日金曜日
明日はのびのびの田起こしです。
明日は先週が冷たい雨の一日だったので、田起こしが今週の土曜日に延期されました。その田起こしの日です。去年もこの時期、雨が続いてなかなか田起こしが出来ませんでしたが明日は天気予報によると曇りです。気温はちょっと寒めですが、先週の様な天気ではない様なのでやってしまいたいですね。皆さん参加の程よろしくお願い致します。ちなみに、去年の田起こしの風景を写真でお見せします。
2012年4月19日木曜日
2012年3月23日金曜日
2011年7月16日土曜日
2011年長キャンプ
7月15日、年長の子どもたちが待ちに待ったキャンプです。例年ですと梅雨が明けるか開けないかの微妙な天候ですが、今年はそんな心配はまったくありませんでした。でも、あまりの暑さに熱中症の心配が、しかし、子どもたちはみんな元気でキャンプの活動をしっかりとやってくれました。自分たちの生活は自分たちで賄うことを目標に、カマド係、お風呂係、カレー係、デザート係に別れてそれぞれが年長みんなのために悪戦苦闘する1日です。心配をよそに、子どもたちはしっかりとそれぞれの役割をこなしていました。1学期の総まとめのこの時期、子どもたちが自分たちの生活を目標を持って送ることが出来るのは、年長の育ちとしてはたくましささえも感じます。家庭から離れ、幼稚園に一泊することでプレッシャーを感じている子どももいますが、仲間に支えられてそれぞれの子どもが一段と成長してることを実感します。夏休み明けの2学期、この子どもたちの生活のありようが楽しみでもあります。
2011年6月6日月曜日
全国保育問題研修会
始めて東北新幹線「つばさ」に乗って山形に着き、2日間勉強勉強の日々を過ごしました。まだまだ日本中に子どもの事を真剣に考えている人は大勢いる事を確認でき、自分自身も身の引き締まる思いで帰ってきました。
2011年5月19日木曜日
子やぎが生まれた
前回のブログでは北で起った不幸な出来事をお伝えしましたが、今回は幸せいっぱいの出来事をお伝えできる事を喜んでいます。
子やぎが生まれました!!!
5月18日未明の事でしょう。朝、子どもたちが園にくると子やぎが生まれていました。子どもたちは大騒ぎ、園中にあっという間に生まれたニュースは広がりました。この日1日、子どもたちは幸せな気分に包まれたようです。園庭であそんでいる子も、そわそわして事あるたびにヤギ小屋に通っていました。もう子どもたちから家庭に情報は伝わっているかもしれませんが、子どもから聞きつけたお母さん方が何人かヤギ小屋に子やぎを見に来ています。どの方の第一声も、「かわいい、わーっ小さい」です。生まれてくるという事はこんな感情が湧き出てくるのでしょう。私たちの感情の中に小さきものはいとおしいというDNAが組み込まれているのかもしれません。長い間見ていても飽きません。一瞬一瞬がいとおしく思えます。年長組の子どもたちも同じような感情が生まれているのではないかと思います。「かわいいね、ねえ、さわってもいい」いろんな要求が出てきます。子どもたちにとって、日常の心の動きから違った心の動きが働いているのは間違いないことと思います。こんな感情が生まれてくるヤギに感謝して、子どもたちと一緒に世話をし、日々の心をもう一度ピュアにしていこうと思います。
「小さきものはいとおしい」、目の前にいる子どもたちも「小さきもの」です。日々、いとおしいという感情を忘れないようにしましょうね。
2011年5月6日金曜日
東北の旅の終わり
2泊3日の東北への旅が今日8時、終わりを告げました。この短い間でしたが、今回の会いたい人にすべて会ってきました。福島の阿部農園の阿部さん、今年の梨の受粉が終わり次ぎへの農作業の段階に入っています。まだまだ原発の心配はありますが、その現地にしっかりと根付き暮らしています。福島駅前の本屋のレジの横には原発や放射能などの本の特設コーナーが設けられていました。福島の人たちは必死に今時分達の周りでおこっている事態が何なのか知ろうと努力している事が解ります。私たちも自分でしっかりと知識をつけ、生きる上で必要なことを学ばなければならない必要を感じます。
角田の「なかよし保育園」の藤崎さん。彼の豪快な笑いや子供感は彼の人間を見る目の優しさから来るものでしょう。ひと山向こうの悲惨な状況に胸を痛め、私たちを目の前でおこっている現実を直視するよう促してくれました。あの光景や人びとの心の痛みは、ほんの数時間で理解するなどとはおこがましいですが、あの静けさや広がり、光景を直接見る事が出来たのは自分自身の心に何らかの化学変化が起こっている事を実感するものでした。角田女子高校の体育館には未だに引き取り手の無い遺体が安置されているそうです。また、山元町の公立保育園の園児が3人津波に流されて亡くなったそうです。そのお母さんの知り合いの人の話も聞くことが出来ました。この悲しみを乗り越えるのはまだまだ先なのかもしれませんが、しっかりと胸に刻んできたつもりです。
古川の藤川さん。卒園した子どもは、もう私の背を越え、たくましく日焼けした顔を見せてくれました。しかし、そこには幼い時の面影がまだしっかりと残っていました。お姉ちゃんとは会えなかったのですが、あの泣き虫だった女の子は、自分自身の将来を見つめ、しっかりと生活している事を同じく泣き虫のお母さんから聞いて安心しました。2人ともこれからも泣き虫のお母さんを支えていってくれるでしょう。東北の地は寒い風が吹いていました。この地で親子が暮らしています。私たちの環境から遠く離れていても温かい心はしっかりと根付いている事を確認し、嬉しい気持ちになりました。
最終の日、松島の本村さんの実家に寄ってきました。私の音楽仲間で、ベースを担当している彼の実家は松島海岸の目の前で唯一、手作りこけしの店を開いています。彼らご夫婦も連休を利用して実家の手伝いに戻っていました。店は津波に襲われ、一階の店舗は全壊してしまいました。しかし、松島湾が津波の力を吸収してくれ何十メートルの高さではなく、約2メートルの津波のおかげで店の一階だけで被害は収まったようです。被災後から何回か実家に通い、今回は店舗部分を元通りとはいかないまでもこけしが並べられて営業が行われていました。そのこけしの中から被災したこけしを3体譲り受けてきました。このこけしたちも地震、津波の中、傷ついたり泥だらけになりながらもしっかりと立っている姿は愛らしく、私たちの心を落ち着かせてくれる佇まいです。幼稚園に飾って園児達を見守っていただきましょう。
往復、連休中ということもあって20時間の車の旅になってしまいましたが、色々な思いや物語に触れ、自分自身のこれからの糧になるような経験を積ませてもらったように感じます。絵本を寄贈してくださった園のお母さん方、震災した子どもたちに希望という物語を紡ぎましたよ。子どもたち一人一人の心に物語を、そして、生きるという物語を残せたのではないでしょうか。まだまだ復興は時間がかかります。これからも引き続き心を届ける努力をしていくつもりです。そのときが来たら、また相談に乗ってください。今回の旅の結末はこの辺で終わりにします。でもまだ物語は続いています。
木都老克彦
角田の「なかよし保育園」の藤崎さん。彼の豪快な笑いや子供感は彼の人間を見る目の優しさから来るものでしょう。ひと山向こうの悲惨な状況に胸を痛め、私たちを目の前でおこっている現実を直視するよう促してくれました。あの光景や人びとの心の痛みは、ほんの数時間で理解するなどとはおこがましいですが、あの静けさや広がり、光景を直接見る事が出来たのは自分自身の心に何らかの化学変化が起こっている事を実感するものでした。角田女子高校の体育館には未だに引き取り手の無い遺体が安置されているそうです。また、山元町の公立保育園の園児が3人津波に流されて亡くなったそうです。そのお母さんの知り合いの人の話も聞くことが出来ました。この悲しみを乗り越えるのはまだまだ先なのかもしれませんが、しっかりと胸に刻んできたつもりです。
古川の藤川さん。卒園した子どもは、もう私の背を越え、たくましく日焼けした顔を見せてくれました。しかし、そこには幼い時の面影がまだしっかりと残っていました。お姉ちゃんとは会えなかったのですが、あの泣き虫だった女の子は、自分自身の将来を見つめ、しっかりと生活している事を同じく泣き虫のお母さんから聞いて安心しました。2人ともこれからも泣き虫のお母さんを支えていってくれるでしょう。東北の地は寒い風が吹いていました。この地で親子が暮らしています。私たちの環境から遠く離れていても温かい心はしっかりと根付いている事を確認し、嬉しい気持ちになりました。
最終の日、松島の本村さんの実家に寄ってきました。私の音楽仲間で、ベースを担当している彼の実家は松島海岸の目の前で唯一、手作りこけしの店を開いています。彼らご夫婦も連休を利用して実家の手伝いに戻っていました。店は津波に襲われ、一階の店舗は全壊してしまいました。しかし、松島湾が津波の力を吸収してくれ何十メートルの高さではなく、約2メートルの津波のおかげで店の一階だけで被害は収まったようです。被災後から何回か実家に通い、今回は店舗部分を元通りとはいかないまでもこけしが並べられて営業が行われていました。そのこけしの中から被災したこけしを3体譲り受けてきました。このこけしたちも地震、津波の中、傷ついたり泥だらけになりながらもしっかりと立っている姿は愛らしく、私たちの心を落ち着かせてくれる佇まいです。幼稚園に飾って園児達を見守っていただきましょう。
往復、連休中ということもあって20時間の車の旅になってしまいましたが、色々な思いや物語に触れ、自分自身のこれからの糧になるような経験を積ませてもらったように感じます。絵本を寄贈してくださった園のお母さん方、震災した子どもたちに希望という物語を紡ぎましたよ。子どもたち一人一人の心に物語を、そして、生きるという物語を残せたのではないでしょうか。まだまだ復興は時間がかかります。これからも引き続き心を届ける努力をしていくつもりです。そのときが来たら、また相談に乗ってください。今回の旅の結末はこの辺で終わりにします。でもまだ物語は続いています。
木都老克彦
2011年5月4日水曜日
東北の旅2日目
今日は角田市のなかよし保育園へ絵本を届けに福島から入りました。阿武隈川を右に見ながら春の陽光の中、あんな大きな出来事があったことを忘れるようなのんびりした風景です。川の向こうには阿武隈鉄道があり、電車がいつ来るのかと車を走らせていましたが見る事は出来ませんでした。後で藤崎さんに聞いたところ電車は線路が曲がってしまい今復旧の最中であると聞きました。なかよし保育園に着き、なかよし保育園の前に阿武隈鉄道が通っていてその線路上を復旧の車両が行き来しているのが見え、やはり地震の影響があったことを実感しました。
なかよし保育園は田園の中ですごくのんびりした風景の中に立っています。でも、保育園から南の方に見える山の向こうは山元町で津波の被害が甚大なところと聞き、この風景から考えると全く信じられないの一言でした。午後、藤崎さんが山元町の津波の被害を見に行かなければと私たちを被害地まで連れていってくれました。その光景は私がテレビで見る光景とは別物でした。自分のまわりの災害の広がりや深さ、何とも言えない罪悪感、ここに居ていいのだろうかという戸惑いなど、色々な思いが交錯します。そんな意見を藤崎さんにぶつけると帰ってきた答えが「生きているもんが、この風景を見てしっかりと感じなければ死んだもんが浮かばれない」「この風景を実感して、今後の考えをしっかりと持つんだ」と、今回の旅で、私なりにある程度は覚悟を決めてきたつもりでしたが、実際この風景の前に立つと、自然の力の大きさや残忍さがこれでもかと私の心の中にドンドンと音を立てるように踏み込んできます。家々は刃物でそぎ落とされたように切り捨てられ、いや、もぎ取られると言った方がいいのかもしれません。あらゆるものが大きな手で握りつぶされ一カ所に集められているようです。ここに無数の家があった痕跡すら跡形も無くなっているのです。始めは田んぼが続いているのかと思った場所に無数の家が点在していたと聞かされ、その痕跡すら流し去った「津波」という恐ろしいものに改めて人間がいかに無力であるかを思い知らされました。
1時間あまりの訪問でしたが、私の疲労は何日も眠っていないかのように頭の後ろから何かがぐいぐいと押しているような感覚が襲ってきます。車で一分も走らないうちに同じ山元町でも全く被害に遭っていない地域に入ります。そこはごく日常の風景です。レストランは営業し、車窓に映る家々はごくあたりまえの日常を過ごしています。このギャップにも私は戸惑いを感じました。後で聞くと、そのギャップに現地の人びとは悩まされているとも聞きました。ある一線を越えて完膚なきまでも打ちのめされた人びとと、まったく日常に変わりのない人が同じ地域で暮らしている難しさ、なかなかそのギャップを人びとは乗り越えられないでいるという事も。
私がいつも考えている、人と人との関係が違った形でこの場所で展開されている事を実感しました。条件の違いをどのように乗り越えて行くのか、それには何が必要なのか、この難しい局面を人間はどのような知恵を持って乗り越えて行くのかは、人それぞれが素直に相手に向かい合う意外では解決できないのではと思います。いっしょに悲しみ、でもそこから希望を見いだす事でお互いに繋がってゆこうとする意思をお互いに率直に出し合いながら前に進む意外に手は無いのではとも思います。でも、この現状からお互いに繋がって行こうとする意思は多少時間がかかる事も否めないのかもと思います。私もまだ胸の痛みに違和感を覚えて、考えがまとまりません。もう少し考えましょう。そして、良い答えがある事を念じましょう。
明日は松島に行ってきます。また、自分の考えをじっくりと現実と照らし合わせてみようと思います。この次にこのブログを書くのは自宅のパソコンの前になると思います。そのときまでに考えや思いがまとまればいいとは思いますが、まだまだ現実の方が遥か先の方へ行ってしまっています。もう少し時間をもらいたいと思います。
木都老克彦
なかよし保育園は田園の中ですごくのんびりした風景の中に立っています。でも、保育園から南の方に見える山の向こうは山元町で津波の被害が甚大なところと聞き、この風景から考えると全く信じられないの一言でした。午後、藤崎さんが山元町の津波の被害を見に行かなければと私たちを被害地まで連れていってくれました。その光景は私がテレビで見る光景とは別物でした。自分のまわりの災害の広がりや深さ、何とも言えない罪悪感、ここに居ていいのだろうかという戸惑いなど、色々な思いが交錯します。そんな意見を藤崎さんにぶつけると帰ってきた答えが「生きているもんが、この風景を見てしっかりと感じなければ死んだもんが浮かばれない」「この風景を実感して、今後の考えをしっかりと持つんだ」と、今回の旅で、私なりにある程度は覚悟を決めてきたつもりでしたが、実際この風景の前に立つと、自然の力の大きさや残忍さがこれでもかと私の心の中にドンドンと音を立てるように踏み込んできます。家々は刃物でそぎ落とされたように切り捨てられ、いや、もぎ取られると言った方がいいのかもしれません。あらゆるものが大きな手で握りつぶされ一カ所に集められているようです。ここに無数の家があった痕跡すら跡形も無くなっているのです。始めは田んぼが続いているのかと思った場所に無数の家が点在していたと聞かされ、その痕跡すら流し去った「津波」という恐ろしいものに改めて人間がいかに無力であるかを思い知らされました。
1時間あまりの訪問でしたが、私の疲労は何日も眠っていないかのように頭の後ろから何かがぐいぐいと押しているような感覚が襲ってきます。車で一分も走らないうちに同じ山元町でも全く被害に遭っていない地域に入ります。そこはごく日常の風景です。レストランは営業し、車窓に映る家々はごくあたりまえの日常を過ごしています。このギャップにも私は戸惑いを感じました。後で聞くと、そのギャップに現地の人びとは悩まされているとも聞きました。ある一線を越えて完膚なきまでも打ちのめされた人びとと、まったく日常に変わりのない人が同じ地域で暮らしている難しさ、なかなかそのギャップを人びとは乗り越えられないでいるという事も。
私がいつも考えている、人と人との関係が違った形でこの場所で展開されている事を実感しました。条件の違いをどのように乗り越えて行くのか、それには何が必要なのか、この難しい局面を人間はどのような知恵を持って乗り越えて行くのかは、人それぞれが素直に相手に向かい合う意外では解決できないのではと思います。いっしょに悲しみ、でもそこから希望を見いだす事でお互いに繋がってゆこうとする意思をお互いに率直に出し合いながら前に進む意外に手は無いのではとも思います。でも、この現状からお互いに繋がって行こうとする意思は多少時間がかかる事も否めないのかもと思います。私もまだ胸の痛みに違和感を覚えて、考えがまとまりません。もう少し考えましょう。そして、良い答えがある事を念じましょう。
明日は松島に行ってきます。また、自分の考えをじっくりと現実と照らし合わせてみようと思います。この次にこのブログを書くのは自宅のパソコンの前になると思います。そのときまでに考えや思いがまとまればいいとは思いますが、まだまだ現実の方が遥か先の方へ行ってしまっています。もう少し時間をもらいたいと思います。
木都老克彦
2011年5月3日火曜日
東北への旅
今まで3月11日におこった地震の状況を私の頭ではなかなか理解が出来ず、このブログを書きたいとは思ったのですがなかなか書けずにいました。じっくりと状況を見極め自分の肌で、そして、現地の人たちの思いを聴く事で自分の理解を納得のいくものとしようと東北の旅に出かける事にしました。チャリティコンサートで皆さんの思いを自分なりに受けたつもりでいます。私が目となり耳となる事で帰った時に皆さんに納得できる話が出来たらと思っています。
5月3日朝、幼稚園の小さいバス(白バス)に皆さんの善意の「絵本」を満載にして家を出ました。連休の中間日なので混雑を予想はしていましたが、東京を脱出するのに3時間半、東北道に乗ると70キロの混雑に巻き込まれ、福島へ着いたのは5時半、休みなしで9時間の旅になってしまいました。阿部農園の梨畑を見たかったのですが、もう既に雨が降っていて薄暗くなってしまい今回はあきらめる事にしました。そのかわり、阿部さんの居間にお邪魔しておばあちゃんや阿部さんと地震の時の事、原発の事など小1時間お話する事が出来ました。福島県の指導で、つい最近までジャガイモの種をまく為の畑を耕す事ができなかったことや阿部さんの実家の南相馬市の田んぼは、放射線量が0.6ミリシーベルトで本来は田植えが出来、収穫が見込まれるにも関わらず、風評被害で農家は福島の米は売れないと判断して作付けを行なわない事などを聞きました。農家のこれからの生活の事を考えるとくらい気持ちになります。本来、農家は土に生きるのが本望なのですが、得体の知れない怪物がこの街や村全体を包み込んで先の見えない戦いを挑んできているようです。阿部農園の梨はとりあえず受粉を終えたそうです。今年の秋には収穫が見込まれるのですが、この風評被害の事を考えると先が見えないとも言っておられました。私たちに出来る事は少しでもこの「風評被害」と言われる怪物にこの地の人たちと心を同じくして戦いを挑み、打ち負かしていこうという心構えをしなくてはと思います。
福島の町は何ら東京や横浜の町と変わりありません。町行く人は思い思いに会話をして歩いています。しかし、それぞれの人には思いがあるのです。「地震」原発」「風評」こんな得体の知れない不安の中でこの町の人たちは暮らしています。この地から遠くはなれたところに住んでいる私たちが理解しようとする努力をこれからも続けていかなければならないと改めて実感しました。今、8時になりました。明日は角田の「なかよし保育園」へ行ってきます。この旅の目的の大部分を占めている皆さんの「絵本」を無事に届けようと思います。
ドジな私はデジカメのコードを忘れ、パソコンに読み込めません。ブログに画像を貼付けられないので文章だけになってしまいますが、帰ったら画像も含めて今回の旅の思いを書こうと思っていますのでごめんなさい。
木都老克彦
木都老克彦
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