今日も動物の世話にヤギ小屋へ行きました。掃除を始めふとヤギ小屋の床に散らばる草や葉っぱに目を留めると、それらはイチゴの茎や葉っぱでした。急いでイチゴ畑に目をやると、3分の1程度のイチゴの葉がなくなり中には根こそぎ抜けてそこいら中に散らばっているのもあります。昨日は田んぼの田起こしでした。昼近くに園に帰り、OBの読書会の日でもありましたのでそのまま2時半近くまで園にはおりました。帰る間際、イチゴの畑の草むしりをやりましたので、そのときまでは元気に育っていた事は確認していましたので大変ショックでした。
今、園ではプレイルームの流しの工事が入っているので問は開放しています。工事の人に確認したところ、夕方近く女の子の小学生が5〜6人園庭であそんでいたということでした。帰るとき、5時になったからもう帰りなさいと皆を返してくれたという事でした。園では、小学生のあそび場となればと思い5時まではあそび場として開放しています。その中で、いたずらや私たち大人の規範と子どもたちの意識のずれのは私たち大人が「叱ってやる」という立場をとっています。
園の子どもたちがこの園の環境を使いこなすまでには時間がかかります。初めて畑に足を踏み入れた子どもたちは何処そこ構わず歩き回ってしまいます。無理もありません。畑というものがどんな物なのかがわからないのですから歩き回る事に罪悪感は無いのです。しかし、生活の中で「叱ってあげる」と同時にこの畑の意味を時間をかけて伝えていきます。そんな子どもたちも年長になると、畑の収穫や自分自身の体験や経験を通して畑や動物との関わりの意味を知るようになります。大人の感覚では「柵をすれば」という簡単な答えが浮かびますが、まったく経験や体験の無い子どもたちは柵をしたとしても本質を理解出来ていないのですから柵を乗り越えてでもしたい事をするでしょう。これでは、子どもたちの学ぶ機会も私たち大人の意図する事も伝わりようが無いのです。
子どもたちを「叱って」あげましょう。イチゴの苗を抜いた子どもたちは園の卒園生ではありません。まったく経験や体験が無い子どもたちでしょう。機会があったら私は叱ります。皆さんも堂々と叱りましょう。そして、その子どもたちが理解出来ない事を感じ取りながらしっかりと伝えていってください。物事の基本の奥にある人びとの願いや気持ちが何処にあるかを心を込めて。決してその後ろにある大人達を批判しているのではない事を心に持ちながら。
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