ヤギのユキちゃんが死んでしまった。もう何年この幼稚園にいたのだろう。昨年、自分の子どもを看取ってから一年間、体の不自由さにもめげずしっかりと生きてきたのだが、昨日の朝逝ってしまった。子どもたちは角があるので雄だと思っていた。世話をするうちにそれは間違いだと気づくのだが、外見からすると角があるのが雄でないのが雌と思うらしい。
ユキちゃんが逝った朝、ハルちゃんが具合が悪くなった。獣医の先生に来てもらって抗生剤を打ってもらって昨日の夜遅く見に行ったときは元気になりそうだったのだが、今朝ヤギ小屋に行ってみるともう息をしていなかった。立て続けに2頭もいなくなってしまったヤギ小屋に残されたププリンがハルちゃんの埋葬のとき短い声で「メェーッ」とこちらを見て鳴いていた。
2頭も立て続けに逝ってしまった原因が知りたくて、ハルちゃんとププリンが生まれた繁殖家に電話で聞いてみた。数十頭のヤギを飼っている繁殖家なので、色々な経験があるので、幼稚園のヤギの環境や食べ物など、時間をかけて相談したところ、どうやらカビが原因であろうという結論に達した。
子どもたちがサツマ芋掘りをした後、ヤギの餌にとサツマイモのツルを畑の端に積んでおいたのだが、その積んでいたのが悪かったらしい。積まれた下のツルにカビが生えていたのを知らず、ヤギの餌にと畑から運んでヤギに与えてしまった。ヤギは非常に用心深い動物で、泥の付いた草や一度地面に落ちた野菜は口を付けようとはしないのだが、とにかくサツマイモのツルは大好物で、どの餌よりも喜んで食べるのが裏目に出てしまったようだ。
子どもたちは出会いと別れを経験した。子やぎとの出会いと別れ、餌をやったり掃除をしたり、普段の生活の中で同じ時代を生きてきたのだが、先に逝ってしまった。子どもたちにとって生と死を考えることは大変難しいと思っている。ましてや、子どもたちにとって死は一番遠いところにあるものと思っている。当然のことではあるのだが、よりよく生きるのは死を意識することで振り返られるのではと思う。子どもたちにはまだ無理と言ってしまえばそうなのだが、私はあえてそれらも生活の一部として意識してもらいたいと願っている。よりよく生きることを経験で学んでほしいのだ。
ユキちゃんの埋葬は深い穴を掘ってから行なわれた。その間、ヤギ小屋には何人もの子どもたちが入れ替わり立ち代わりユキちゃんに会いにきた。「ユキちゃんにさわってもいい」「毛はふわふわなのに中は冷たいね」「ユキちゃんの目、透き通っていない」子どもたちがユキちゃんの「死」から子どもたちはいろんなことを感じている。生きるということの疑問や実感の入り口に立っているのだろう。こんな経験を最後の最後に子どもたちに残してくれたユキちゃんにお礼の言葉を言いたい。「ありがとう」そして「さようなら」
木都老 克彦
はじめまして。
返信削除ヤギのゆきちゃんの始まりで引き寄せられました。
私もネパールの体験旅行でやぎのユキちゃんのある体験がありました。その時のユキちゃんの死はその現地の方の最大のおもてなしでした。昨日まで村のかわいいユキちゃんが、私たちの歓迎のために・・。
長くなりそうなので、私のブログで書きとめようと思いますが、
子供たちにとって、生き者と触れ合うことは、とても大事なことだなとつくづく思いますね。
今、バーチャルの世界の世代でもあるかと思いますが、幼少の実体験がとても大事だと、強く思います。
ゆきちゃんたちは、子供さんたちにきっと口では表現できない何かを教えてくれたのだろう・・・そう感じました。
また遊びに来させていただきます。
私のブログにも、お時間あるときに遊びにいらしてくださいませ。
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