園では子どもたちのあそびを保障するため、保育後の園を開放しています。ここでは、子どもたちが自由にあそぶことで、自分自身で考え、あそびを進めていくことを前提としています。しかし、園には保育者や他の大人も同時にいるのがほとんどです。ですから、子どもたちが本当に困った時は私たち保育者や他の大人が子どもたちの手助けをすることが前提となります。子どもたちへの大人の責任と考えています。
先日、バオバブ(2歳児教室)の前のぶどう棚に来てみると、地面にまだ青いぶどうが散乱していました。そして、ヤギの餌箱の中にも青いぶどうが散乱していました。実際を見ていないので想像でしか書けませんが、多分、子どもたちがヤギに餌をやりたくてぶどう棚に登り、まだ青いぶどうをむしり取ってヤギにあげたのでしょう。在園の子どもや幼児が届く高さではないので多分小学生でしょう。園の子どもたちがぶどうが熟すのを心待ちにしていることはその子どもたちには想像すらなかったのかも知れません。ちょうど「れんげ」(絵画教室)の日だったので多くの小学生があそんでいることは分かっていました。しかし、その子どもたちもかってはぶどうが熟すのを心待ちにしていた子どもも多くいた筈です。残念で仕方ありません。子どもたちがヤギに餌をあげる行為は微笑ましく思います。ただ、あげて良い餌とあげて良くない餌の区別はこの園の子どもたちには話し、保育者と子どもたちの共通概念になっていると思っています。
園の環境の中では、私たち大人は子どもたちが困ったときには手助けをと前記しました。しかし、子どもたちが困った時だけ手を差し伸べることで子どもたちは育ってはいかないことも事実です。良いことと悪いことの判断をくり返し提示する必要は、私たち大人の子どもたちへの責任とも言えるのではないでしょうか。子どもたちが自由にあそべる環境を私たちはできるだけ守っていきたいと思っています。その場を共有している私たち大人が、子どもたちを見守り指導していくことで、子どもたちの本来の自由が保障されていって欲しいと願います。
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