一夜明けて、子どもたちは家から花を持ってお墓に供えていました。家に帰ってお母さんに話したのでしょう。子どもたちにとってのヤギの存在は自分たちの生活の中で大きなものとなっている事は確かだと思います。日々、餌をやったり掃除をしたり世話をする事で、子どもたちはヤギという存在を十分に理解するまでには至ってはいないとは思いますが、仲間であり、友だちであったりしているのかもしれません。そんな感覚的な毎日の中で、子どもたちはヤギが特別な存在ではなく、日常の生活の何気ない仲間になっていくのかもしれません。家族のようなもの。こんな一言に似ている気もします。畑にはジャガイモの花が咲き、いちごの花も咲いています。
その傍らで子どもたちに見守られながら、みるくは静かに眠っています。ヤギ小屋は寂しくなりました。今朝、佐久の農家に電話をして子やぎがいないか聞きました。今は居ないのだけれど、近隣の農家に聞いてくれるのこと。もしかしたら6月頃には2頭の子やぎが幼稚園に来てくれるかもしれません。 園長
年中母です。
返信削除お母さん方からヤギの話を聞きました。
こどももその日の夜にぽつぽつと「お花をみんなであげにいった」「死んじゃっておわかれした」ことなどを話してくれました。
どんなヤギだったのか、今後どうなるのか、色々気になっていましたが、こうして先生からもお話が聞けて良かったです。
子ヤギ来たら子ども達も喜びますね。
その子達がお母さんになってくれたら、伝説のヤギのミルクをこども達は飲むことができるのかしら?